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想定外事態え、
エリア最大規模開発事業推進。

複合開発

担当領域:事業

Kaisei Yuzuriha

ビルディング本部 ビルディング事業二部
事業グループ
2017年入社
工学系研究科修了
※内容は取材当時のものです

PIONEER
INTERVIEW

CAREER STEP

2017年
ビルディング本部 ビルディング事業二部 事業グループ

POINT

①若手からプロジェクトマネージャーとしてチームをけん引
②エリア最大規模の複合開発

現在携わっている仕事を教えてください。

大手町エリア最大規模の開発プロジェクトである「Otemachi One」の事業推進に携わっています。「Otemachi One」は、オフィスやホール、カンファレンス、商業施設、ホテル、さらに緑地広場が一体となった複合開発。建物の延べ床面積は約36万㎡にも及び、三井不動産にとって、1街区の開発としては東京ミッドタウン以来となるスケールのプロジェクトです。2020年2月に竣工し、現在までにオフィス・ホール・カンファレンス・商業施設・ホテルがオープン。私はいま、開発の第二期にあたる緑地広場のコンセプト策定や、プランニングなどを主に担当しています。

プロジェクトマネージャーとして心がけていることを教えてください。

プロジェクトマネージャーとしての自覚を持ち、行動することです。共同事業者、設計者、施工者、行政、地元の方々など、それぞれ異なる意見に耳を傾け、共通項を見出し、関係者全員の想いを一つの方向に導いていくのは、プロジェクトマネージャーに課せられた責任の一つだと考えています。例えば、本プロジェクトの共同事業者である三井物産の本社ビルに近接する緑地広場は、賑わいを創出する場として期待されると同時に、皇居の緑および周辺に位置することから人々に安らぎを提供する機能も持たせたい。伝統と革新、安らぎと賑わいといように、多くの価値観を融和させるべく、行政や地元の方々の要望を汲み、設計者や施工者と議論しながら、共同事業者と二人三脚で、街区の多様性を体現する設計を実現しました。

プロジェクトマネージャーには、周囲を巻き込み、推進していく力が求められます。新人の頃、どのようにして周囲の人と信頼関係を築いていったのですか?

もちろん、私も最初から順調だったわけではありません。特に知識も経験も不足していた新人の頃は、専門家である設計者や施工者とどう向き合うべきかに苦労しました。そこで私が大切にしたのは「飛び込むこと」と「誠実であること」。立場はさまざまでも、プロジェクトに参加するすべての人はひとつのチーム。思い切って懐に飛び込み、誠実に対応することで、信頼関係が築けるはずだと信じたのです。その姿勢が功を奏したのか、コミュニケーションを深めていく中で専門家から学びを得ながら、私も専門家の想いに応えられるようになり、お互いに高め合う関係性が築けたのではないかと思います。

その後、「Otemachi One」が開業するまでにどのような苦労がありましたか?

2020年2月の竣工直前から、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を受けた時には大変苦労しました。建物の工事はほぼ完了していましたが、ホテルの内装や家具といった物品はまだ整っておらず、中には中国で製造していたものもありました。船や飛行機など中国とのあらゆる物流がストップする中、納期が遅れて工期に影響することは明白でした。また、当時は東京オリンピックの延期も決まっておらず、開業をずらすわけにはいかないという事情もありました。

自ら中国の現地工場とのやりとりも担当したそうですね。

通常、現地工場とのやりとりは施工業者にお任せするのですが、この時ばかりは、施工業者の了解を取った上で、現地工場との会話に参加させてもらいました。プロジェクトマネージャーとして全体を把握していること、私自身、高校卒業までは中国で生活し、現地の事情を少なからず理解していることから、役に立てるのではと考えたのです。あらゆる手を尽くし、一部納品の道筋が見えたものの、多くの物品は目処が立たないまま。そこで現地工場の稼働状況について情報収集し、中国で作れるものと、日本で作れるものを洗い出して、各種納品・設置計画を施工業者と一丸となって何度も練り直しました。

「Otemachi One」の開業時にはどのような気持ちになりましたか?

オリンピック延期等の影響もあり、当初の予定よりは遅れましたが、2020年9月、ホテルは無事にオープンの日を迎えました。営業の始まったホテルを訪れ、皇居から東京タワーまで見渡せるテラスに立った瞬間は感無量で、言葉もありませんでした。開業に至るまでのさまざまな苦労がついに実り、日本のビジネスの中心である大手町に、こんなにも素晴らしい場所を生み出すことができた、その喜びを噛み締めるにふさわしい景色でした。

思い出の写真

共同事業者である三井物産のご担当者は、年齢が近いこともあり、同志のような存在です。2人で中国の厦門に出張し、冷房のない気温40度の工場で、壁に使う化石入りの石材を探したことはいい思い出です。