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PROJECT
STORIES

前例のない「公園」を渋谷に


01. MIYASHITA PARK

「一生一度かもしれない」。


アウェイの渋谷えた


アイデアとは?

PROJECT PROFILE

MIYASHITA PARK

公園・商業施設・ホテルが一体となったミクストユース型プロジェクト。渋谷駅周辺と原宿、青山、表参道などをつなぐ結節点に位置し、屋上に渋谷区立宮下公園、その下に約90のテナントが入居する3階建の商業施設「RAYARD MIYASHITA PARK」、原宿側にホテル「sequence MIYASHITA PARK」を擁する。

※掲載されている部署名はプロジェクト担当時のものです。

INTERVIEW 01

渋谷えるプロジェクト。
自分自身を、その熱源に。

企画

Toshifumi Nakata

2008年中途入社
商業施設本部 アーバン事業部 事業企画グループ
※現在は、オーストラリア三井不動産に所属。

一生に一度かもしれない。

渋谷区が、宮下公園を再開発するーー。その情報を耳にした時、中田の率直なリアクションは「本当か?」だった。渋谷駅から徒歩3分。1ヘクタールにも及ぶ敷地。にわかには信じがたいほど、魅力的な条件が揃っている。ただ、三井不動産にとって渋谷はアウェイの地だ。手を挙げたところで、関われる可能性はゼロに等しいのではないか。しかし……。「これはきっと、一生に一度、出会えるかどうかのプロジェクトだ。やろうじゃないか」。情報をもたらしてくれた先輩と2人、小さなチームでスタートを切った。2014年の夏のことだ。

再開発を任されるには、渋谷区が開催するコンペに参加し、まず候補事業者に選ばれる必要がある。その後、渋谷区議会で正式な承認を得るという流れだ。プレゼンまでの時間はわずか3か月。この短期間に、渋谷というマーケットを調べ上げ、公園と商業施設のあり方を定め、事業収支予測まで完成させなければならない。社内外を巻き込んでの目まぐるしい日々が始まった。

開発前の渋谷宮下公園(撮影:事業担当山本)

ホテルが招いた期待と波乱。

低層の商業施設に、屋上の公園。少しずつ描かれていく新しい宮下公園の姿に、中田たちは大胆なアイデアを盛り込むことにしたホテルだ。都市計画上、公園の面積を減らすことはできない。そのルールを厳守しながら、どうにかしてホテルの敷地を捻出する。運営は三井不動産グループが手がけ、渋谷区には借地料が入るというプラン。誰にとってもメリットが大きい上、街の賑わい創出や防災面にもしっかり貢献できる。提案が形を成すにつれて、社内からの注目も高まっていった。「すごいプロジェクトになりそうじゃないか」。そんな期待の声を背負って臨んだコンペ。結果は、アウェイゲームの不利を跳ね返しての大勝利だった。

ところが、道はそこからが険しかった。周辺住民および渋谷区議会から、計画に「待った」がかかってしまったのだ。中でも懸念が集中したのは、ほかでもないホテル。「もともとフラットな公園なのに、なぜ高層のホテルが必要なのか」「景観は損なわれないのか」「騒音は大丈夫か」。さまざまな声が寄せられた。もっともな不安だ。それらを解消しない限り、区議会から承認を得ることは難しい。

周囲まで熱くする、圧倒的な熱量を。

中田は、住民代表が集まる会合や渋谷区との打ち合わせに足しげく通った。参加しているのは、渋谷の街に強い愛着を持つ人ばかり。だからこそ、投げかけられる疑問や不安も重い。そのひとつひとつを正面で受け止め、解決策を真摯に議論していく。実はこの頃、中田もまた渋谷の住民になっていた。誰に言われたわけでもなく、純粋にこの街をもっと知りたいという欲求にかられて引っ越したのだ。そこまで入れ込んで、改めて確信したことがある。このプロジェクトは、渋谷をきっと、もっとよくしていける。

「どんなに困難が多くても、あがいてでも実現しようとするのは『こんなにいいプロジェクトなのに、自分たちがあきらめたら終わってしまう』と本気で思うから。心の底から、街をよくしたいと考えているからです」。その熱量こそが、プロジェクトマネジメントにおいても鍵になるという。「私たち総合デベロッパーは、私たちだけでは事業ができません。地権者さん、設計会社さん、ゼネコンさん、テナントさんなど、本当に多くの人たちの力を借りるしかない。その時に三井不動産は、プロジェクトの中心で圧倒的な熱量を放ち、伝播させていく存在でなければならないんです」。

2015年の暮れ。渋谷区議会で過半数の賛成を得て、三井不動産の再開発計画は可決された。自分たちチームの熱量が住民へ、そして議会へと広がった瞬間を、中田は先輩と共に傍聴席から見守っていた。この時に手にしていた傍聴券は、今もお守りがわりとして、大切に中田の財布にしまわれている。

INTERVIEW 02

よりも渋谷っている。
その自信が、コンセプトをむ。

事業

Kazuki Yamamoto

2011年入社
商業施設本部 アーバン事業部 事業推進グループ
※現在は、マレーシア三井不動産に所属。

歩くことは、足で知ること。

山本は学生時代、洋服に興味があり、渋谷と原宿を頻繁に行き来していて、もちろん宮下公園の横を通ったこともある。だが、立ち寄ることはほとんどなかった。「ちょっと暗くて、大きいのに存在感の薄い公園」。その程度の印象しかなかった山本が、宮下公園の再開発に加わったのは何かの巡り合わせかもしれない。

プロジェクトに合流した山本の最初の仕事は、コンペに提出する中田たち用地担当のプランを収支面からチェックすること。しかし本当の大役は、コンペで勝利を収めた後に回ってきた。コンセプトメイクだ。プロジェクトが目指すものを明確に定め、言葉として共有するための最重要プロセス。数え切れないほどの関係者がいるプロジェクトでは、その意思統一のためにも欠くことができない。

山本はまず、渋谷を歩いた。総合デベロッパーにもっとも大切なのは、足で知ることだと山本は信じている。渋谷の人、建物、空気。それを誰よりも深く知るには、誰よりも渋谷を歩くしかない。曜日や時間をずらしながら幾度となく足を運び、学生時代に慣れ親しんだ渋谷を捉え直していく。やがて見えてきたのは、「気軽に一息つくことのできない」渋谷の姿だった。お洒落で活気にあふれる一方で、気軽に休めるカフェ等はいつも満席。若者たちはガードレールや遊具に腰かけて休んでいる。その光景を見て、山本はこう感じた。「公園という場所が、渋谷にもたらせる価値は大きいはずだ。それを信じよう」。コンセプトは「刺激と快適が交わる4階建ての公園」と掲げられた。

当時、山本が撮影した宮下公園周辺の写真

妥協のない、公園と商業の一体感。

1階から3階までは商業施設があり、その屋上に公園がある。MIYASHITA PARKの構造をシンプルに説明するとそうなるが、山本はコンセプトに基づき「全体が公園であること」にこだわった。商業施設の基本は全天候型のインナーモールだが、山本は施設の大半を外に向かって大きく開かれたアウトモールにすることを選択した。天候や寒暖の影響を受けやすくなるが、公園との一体感や開放感を強調することで訪れる人に憩いを感じてほしい。もちろん、弱点はできる限り潰す。雨の降り込む角度を徹底的にシミュレーションし、休憩している人が雨に濡れないようにファニチャーの配置などをシビアに決めた。また、商業施設部分には公園との連続性を意識してたくさんの緑を置いた。だが山本はそれだけでは満足できず、営業部を通じて飲食テナントにテイクアウト業態の導入を提案した。お客様がテイクアウトした料理を、公園の気持ちのいい陽射しの中でゆっくりと味わう。建物等のハード面のみならず、過ごし方を含めたソフト面まで提案して初めて、「公園との一体型」だと胸を張れるのではないかと考えたからだ。

山本の提案は、最初からすべてが受け入れられたわけではない。例えばアウトモールの採用にしても「寒い時期に人が来なくなるんじゃないか」といった指摘は当然ながらあった。そのたびに山本は、足で稼いだ資料を並べて説得に当たった。自信を失ったことは一度もない。渋谷については、三井不動産の誰よりも自分がよく知っている。そんな、揺るぎない自負があった。

開発検討時に使用した、MIYASHITA PARKの完成想定模型

信じられるコンセプトが、提案を強くする。

2020年7月。宮下公園はMIYASHITA PARKとして生まれ変わった。山本のコンセプトが、実体を伴って立ち上がった瞬間だ。コンセプトメイクに着手してから足かけ4年。すでに次の部署へと異動していた山本だったが、プロジェクトで組んだデザイナーと再会し、MIYASHITA PARKで食事をともにする機会があった。「山本さんがつくったぶれないコンセプトがあったから、私たちもそれを信じて思い切った提案ができました。山本さんと仕事ができて、本当によかった」。その言葉が嬉しかった。

華やかに見えるが、実際のところは地道な仕事の連続だ。多くの関係者の中心で、調整役として常に謙虚に立ち回ることが求められ、ギリギリのスケジュールに胃が痛くなることもある。けれどそれをくぐり抜けた後には、文字通り、新しい景色が広がっている。

INTERVIEW 03

くどいほど、口説く。
最高のテナントをえるために。

営業

Nagisa Kimura

2014年入社
商業施設本部
商業施設営業二部 営業グループ

めったにない「モテ物件」。

木村の言葉を借りれば、MIYASHITA PARKは「稀に見るモテ物件」だ。2018年、木村がテナントリーシングのためにプロジェクトに加わった時点で、さまざまなブランドから出店についての問い合わせが途切れない状態だった。

かと言って、木村の仕事が楽になるかといえばそうではない。リニューアルではなく、0からつくる商業施設。しかも、三井不動産にとって、初となる商業施設での渋谷進出。だからこそ、テナントも攻めのラインナップにしたい。たとえば、誰もが知る有名ファッションブランドには、世界初となるメンズの旗艦店を出してもらうことに成功。一方で、新ブランドの発掘にも力を入れた。断られることも少なくない。しかし、これも木村に言わせれば「それが当たり前」。むしろ、一度断られてからが本番とも言える。

惚れ込んだブランドに、食い下がる。

木村がアプローチしたブランドのひとつに、鎌倉と南青山に店舗を構えるジュエリーショップがある。自分でデザインした指輪を形にできるとあって、休日には若いカップルが行列をつくっているブランドだ。その客層に木村は目をつけた。もともと木村の所属するMIYASHITA PARK担当のチームは、これまでメンズブランドを中心に新しいブランドを多く開拓してきた。しかし、木村の担当フロアである「南の2階」は、渋谷駅方面からのトラフィックがもっとも見込める好位置だ。渋谷らしいカオス感やマルシェ感でお客様を迎えたい。そのためにも、女性が楽しめるブランドも絶対に必要だ。

木村はまず、ショップの代表電話にかけてみた。オーナーとの直談判を望んだが、当然のことながら、すぐには取り次いでもらえない。木村は「しつこくて申し訳ございません」と書き添えながらも粘り強くメールを送り、店にも顔を出した。そうこうするうちに、オーナーより先にスタッフとの関係性ができた。「オーナーがお店に寄るタイミングを教えてもらえませんか。立ち話でかまいません」。そう食い下がる木村の熱意にほだされたのか、とうとうオーナーとの面会が叶うことになった。

「コンセプトは『公園』か。面白いね」。オーナーは真摯に話を聞いてくれた。しかし、いざ出店について切り出すと、明らかに戸惑った様子だった。「今のままでも店は十分すぎるほどうまくいっている。スタッフもフル回転だ。この状況で、わざわざ商業施設にテナントを出す意味があるのかどうか。営業時間など、商業施設のルールで動かなければならない点も気にかかる」。そんな懸念が口を衝いて出た。木村もまた、真摯に応えた。自分がそのブランドにどれほど惚れ込んでいるか。MIYASHITA PARKで何を成し遂げたいのか。そのために、ブランドの力をどれほど必要としているか。思いの丈を切々と語った。「そこまで言うなら、やってみようか」。何度も交渉を重ねた結果、オーナーはついにうなずいてくれた。

コロナ禍で迎えた開業。

2020年6月。本来なら華々しいオープンの日。しかし、MIYASHITA PARKは静まり返ったままだった。コロナ禍によって開業延期を余儀なくされたのだ。木村が何より辛かったのは、木村の思いに共鳴し、出店を決意した多くのテナントに不安を感じさせていることだった。「1日でも早くオープンさせてほしい」と焦るテナントもあれば、「しばらくはお客様を入れるべきではない」と慎重な対応を迫るテナントもある。どちらの場合も「とはいえ、三井不動産のせいじゃないんだけどね」とフォローされるのが、かえって申し訳なかった。

MIYASHITA PARKは7月28日、約1か月遅れの開業を迎えた。感染症対策を徹底し、開業直後はメディア取材は受けず、来場人数を制限しての少し寂しい門出。しかし、各テナントの初月売上を確認した木村は安堵した。あのジュエリーショップをはじめ、絶好調とは言えないまでもこのコロナ禍ではまずまずと呼べる数字が並んでいたからだ。予断を許さない状況は続くが、月を追うごとに上昇の兆しも見えてきた。「開業は、お客様はもちろん、テナントさんにも長く愛されるためのスタート」。すべての商業施設に言えることだが、MIYASHITA PARKの場合、その意味はさらに重い。営業担当としての役目はひと段落したが、木村はこれからもMIYASHITA PARKと、そこに出店してくれた大切なテナントを見守っていく。

INTERVIEW 04

予測のつかない状況下で、
収益最大化模索する。

運営

Ryo Takeuchi

2017年入社
商業施設本部
アーバン事業部 運営企画グループ

仕事の引き継ぎ先は、自分。

2017年に入社して以来、竹内はずっとMIYASHITA PARKに関わり続けている。と言っても、立場は変わった。最初は開発担当として、工事のスケジュール策定や予算調整などを手がけていた。しかし、MIYASHITA PARKが開業してから1か月あまりが過ぎた頃、辞令を受け取った。新しいポジションは運営担当。嬉しさが込み上げた。ざっくりと分けてしまえば、開発担当は商業施設が開業するまでを見て、運営担当は開業した後を見る。言わば竹内は、自分で自分に仕事をバトンタッチしたようなもの。開発担当としてより精度を高めたかった仕事を、別の運営担当に引き継ぐのではなく、最後まで手掛けることができるのだ。

たとえば、そのひとつが
建物プランニングだ。

開発時、より収益性の高い物件を目指して、投資額と開業後の数字をバランスしながら見込むものの、開業後の声は蓋を開けてみないと判らない。催事区画や通路のデザイン、家具選定やアートなど多岐に渡って投資バランスを検討したが、その投資に見合った収益や付加価値を生み出せているか、また軌道修正が可能か、実態を伴って臨むことが出来る。勿論、見立てと違ってネガティブにも働くこともあり、開業後に是正工事が迫られることもあった。どれだけ慎重に予測を立てたとしても、稼働して初めてわかる問題がある。開業から1年ほどは、大小さまざまな問題の解決に奔走するのが、運営担当の運命と言える。

前例のない状況に、
前例のない策で立ち向かう。

竹内は、運営を「攻めの仕事」と呼ぶ。収益の最大化というミッションを担っているためだ。売上と収益を精度高く予測し、それを最大化するための販促活動やイベントを企画して、各所と連携しながら実行していく。ところが2020年、開業の初年度から、MIYASHITA PARKはコロナ禍という特殊な環境にさらされてしまった。強気だった予測は軌道修正を強いられ、本来なら人をいっぱいに呼び込みたい商業施設も、慎重に密を避けざるを得ない。テナント毎の売上が下がり、二次作用として賃料収入も下がっていく懸念がある中で、何をするべきなのか。

ひとつは、収益を上げるための手を打つこと。集客に限界があるのなら、他の策を考えるまでだ。竹内は今、MIYASHITA PARK内のスペースに新しい用途を見つけることで、使用料を得る方法を模索している。もうひとつは、運営にかかる費用を再度見直すこと。これまでは、どちらかと言えば収益を伸ばすことに力点を置いていたが、出ていくお金を減らす取り組みを始めたのだ。詳細に費用を検め、無駄を見つける。その機会を得られたのだと考えれば、状況をほんの少しだが前向きに捉えることもできた。前例のないMIYASHITA PARKに、前例のない状況。竹内の挑戦は続く。

外側を上回る、ユニークな内側を。

竹内にとってはすっかり見慣れたMIYASHITA PARKだが、よくよく考えてみれば「不思議な場所」だと竹内は言う。上に公園、下に商業、その隣にホテル。その構造だけでも、興味を惹かれて立ち寄る人はいるはずだ。そんな人たちに「入ってみたらもっと面白かった」「感動した」と思ってもらうことが竹内の目標だ。

竹内はときどき、知人をMIYASHITA PARKに招く。慣れてしまった自分の目では見つけられない、新しい魅力向上のヒントを知るために。そして自分は、あちこちの商業施設を始めとして、さまざまな場所に足を運んでみる。どこで見つかるかわからない、アイデアの種を探して。建物はすでに完成しているが、その中身を進化させていく仕事には終わりがない。だから面白い。

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