思い浮かべる顔が、
一人また一人と増えていく。

Makiko Otsuka

2018年入社

前職:製鉄メーカー

製鉄メーカーにおいて、製鉄所の経理を3年務めたのち、主に建材向け鋼板の海外営業担当として約5年間、アジア各国を駆け回っていた。2018年に三井不動産に中途入社して以降は商業施設本部に所属し、飲食業への営業とテナントリーシングを担っている。

 カーラジオでは、韓国語のアナウンサーが台風の接近を伝えている。こんな日は、製品を積んだ船の到着が大幅に遅れかねない。デリバリーが予定通りに行われなければ、顧客の生産計画にも関わってしまう。大塚はいても立ってもいられず、現地スタッフの運転する車で釜山港へと向かっていた。

 海外営業は入社時からの希望部署だったため、辞令を受けたときには、スタート地点に立てたと思った。現場の人たちがどれだけの想いを込めて、世界最高品質とも言われる鋼板を生産しているのか。その姿を大塚は、3年間の製鉄所勤務で間近に見てきた。どの国の顧客に対しても、自信を持って営業できるのは間違いない。だが、大塚の行く先々には常に、価格競争力に勝る中国メーカーが立ちはだかってくる。

 価格が高くても選んでもらえることもある。政府の介入や停電といった不安定要素から、中国メーカーを敬遠する顧客は少なくない。さらに、営業担当者のきめ細やかな姿勢というのは、大きな付加価値になる。価格交渉や契約から、現地への配船や通関、納品確認までを一貫してフォローするなど、顧客に安心して任せてもらうための細かな積み重ねが認められたのだと思う。この日も釜山港への到着を確認し、胸を撫で下ろした大塚に、現地スタッフが片言の日本語で声をかける。「良かったです。どうですか今晩、うちのメンバーたちと韓国料理でも」「はい!ぜひともご一緒させてもらいます!」

******

 大塚は栃木県益子町に生まれた。父親は陶芸家として常に数人の弟子を育てていたが、大塚自身は土に触ったことすらなかった。いま思うと製鉄の高炉同様、窯場を神聖な場所だと感じていたからかもしれない。販売を行う店舗にはよく顔を出していた。頻繁に訪れる外国人観光客たちが、父親や職人たちのつくった作品に魅せられているのが誇らしかった。

 幼い頃から海外色の強い環境で育ったこともあり、高校・大学時代に留学を経験した。海外の文化に触れれば触れるほど、逆に日本の良さは何だろうか? と、大塚は考えるようになる。その答えは、幼い頃から慣れ親しんできたモノづくりではないか。その仕事を頑張っている人たちのために、ひいては日本のために働ける会社はどこだろう?そうして選んだのが、製鉄会社だった。

 総合職の同期は約150人で、女性は10人だけだった。だが、大塚は意に介さない。最初から社内ではなく、外へと視点が向いていたからだ。上司にはっきりと物申す姿勢も、明るく染めた髪で営業に赴くスタイルも、「まあ、大塚だからな」と、個性として次第に認められていった。そんな大塚のスタイルは海外でも受け入れられていったが、安い価格を提示する中国の競合メーカーに、既存顧客を奪われたことも少なくない。それでも、製鉄所の現場の人たちの顔を思い浮かべながら奮起し、自分にでき得る価格以外の面からの貢献を心がけていた。

 入社から約8年、もうすぐ30歳になろうとしていた。仕事は充実していたし、やりがいを感じていたのも確かだ。だが、「30歳を機に思いきって、まったく違う業界に身を置いて視野を広げてみたい」という思いが膨らんでくる。新しい舞台を求めて、登録した人材サービス会社から紹介されたのが三井不動産だった。デベロッパーは、就活のときも含めて考えてもいなかった業界である。調べてみると、総合職・業務職を含めて約1,400人という少数精鋭であること、日本全国はもちろん、近年は海外での開発にも積極的にチャレンジしていることなども知った。「面白そうな会社かもしれない」。それが、応募のきっかけとなった。

 面接で「どんなことに興味がありますか?」と質問された大塚は、「食べることです」と迷わずに答えた。忙しく働きながらも、20代前半から欠かさず続けていた趣味が、予約困難店を一人で巡る食べ歩きだった。味にうるさいグルメというわけではない。なぜここまで予約がとれないほど人気があるのか? どんなふうに、客の舌と心を満足させているのだろうか? その答えを自分で確かめたいという想いに突き動かされ、店で知り合った客やSNSからの人気店の情報に、常にアンテナを張っていた。

 面接でのそんなやりとりもあったせいか、入社後は商業施設本部に配属され、飲食業相手の仕事を任されることになった。引き継ぎで与えられた企業の他、飛び込みでの新規企業の開拓、ららぽーとなど商業施設のテナント誘致や、店舗運営のサポートを行う。部署の先輩たちは、たとえば「持ち帰りスイーツならこの人」といった強みを確立している。そんな中で、自分にはなにができるのか? ただただ焦るばかりで、なかなか戦力になれない自分がもどかしくてならない。大塚はこう思った。「私はここに来て、まだ誰の役にも立っていない」。

******

 成果を出せずにいた大塚に、さらに逆風が吹き込んできた。入社から1年が経とうとしていた2020年の2月、新型コロナウイルスが国内でも感染拡大しはじめたのだ。商業施設本部としてもさまざまな対応に追われるようになり、ららぽーとの空きテナント誘致どころではなくなった。いろんな企業に声をかけ続けても決まらなかった入居が、コロナ禍に困難さを増すのは目に見えている。

 だが、こんな時期だからこそ、困っている飲食企業のためにできることがあるに違いない。大塚は、ある既存顧客に声をかけた。繁華街の居酒屋を中心に展開していて、郊外型の出店経験はない企業である。車で来店するららぽーとの客層を考えると、アルコール提供をともなう業態は適さない。ならば、ランチでも利益を伸ばせるカフェ風の韓国料理という業態を提案してはどうだろう。大塚の考えに、先輩社員は驚いた。「えっ? 韓国料理って、ブーム的には古くないか?」「逆に、いま来てると思うんです。若い人たちも最近は、原宿よりも新大久保に集まってますし」「そうか……。それで、詳しいプランは?」

 以前入っていた洋食店のレイアウトは変えずに、内装を韓国調に設えることで、初期コストも抑えられる。なにより、郊外型店舗の初出店となれば、顧客の今後の経営戦略にも生かせる。そんな提案が先輩にも、そして顧客にも受け入れられた。メニューに助言の必要はなかったが、繁華街とは異なる採用や運営、SNSの活用などに関するサポートに尽力した結果、新店舗は好スタートをきる。「大塚さん、ここに出させてもらって良かったよ」。顧客企業にとっても、大塚にとっても、新たな一歩を踏み出す転機になったのだ。

 2022年7月、三井不動産から大型プロジェクトのニュースリリースが出された。大阪府門真市の電気メーカー跡地で進めていた商業施設や集合住宅の複合開発における、商業施設部分の詳細である。開業予定は2023年の春で、主に1階と3階を〈ららぽーと〉、2階を〈三井アウトレットパーク〉とする、初めての両ブランドの複合施設になる。社内では以前から計画が進められ、商業施設本部から多数のメンバーが駆り出されていた。大塚もその一人であり、フードコートを含む飲食ゾーン全体の企画を担当することとなった。

 この仕事に就いて、関わる人たちが一気に増えた。 人気店をリサーチさせてもらう出版社の編集者、空間づくりをサポートしてくれる設計会社の設計士、一緒にプロジェクトを担当する物販テナントの担当者、テナントを誘致する各顧客の営業担当者……。複合施設を訪れる、日常の買物客にも、非日常のブランドショッピングの客にも満足を届けられるフードコートにはどんな店の構成が望ましいのか、どんなレイアウトが適しているのか。関係者との検討はどこまでも続く。さらに、テナントの目玉ともなるモール初出店に乗り気の顧客には、イメージを掴んでもらうために名古屋の既存モールに案内もする。

 こうした数多くの関係者の情熱と尽力に報いるために求められるのは、調整能力ではない。周囲の人たちにも好影響をもたらすような機動力こそが重要になる。これを高めれば、全体の歯車がうまく回っていくと大塚は考えている。だから、年間40回以上におよぶ東京〜大阪を行き来する生活も苦にならない。開業まで1年を切ったいま、工事の進捗確認や各テナントのメニューの確認といった詰めの業務に追われる日々はまだまだ続く。他のどの商業施設にもない食体験をつくり上げる中で、これまで関わってきた人々の想いが、少しずつ形となって目の前に現れつつある。

******

 三井不動産の一員になって良かったと感じるのは、仕事だけではない。日本橋の本社にいると、まったく会ったこともない社員から、チャットが届くのだ。
「今度ランチに行きませんか!」
 それだけ社員同士の距離感が近いことの表れだと思う。この会社には普段から仕事の悩み事を気軽に相談できる空気も漂っている。そんな距離感が自分は大好きだ。だから、大塚はこうチャットを返す。
「はい!ぜひともご一緒させてもらいます!」