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街が生み出す
エネルギーを感じながら。

Hiroyuki Ogata

2012年入社

前職:航空会社

航空会社にて、経営破綻からの再建に向けた中長期計画や再上場計画の策定などに携わる。2012年に中途入社。商業施設営業部、アウトレット部、ホテル事業部を経て、現在はホテル運営を手がけるグループ会社に出向している。

「これは一体どうなっているんだ!」各ラインの部長たちが、すぐそばで叱咤されている。2010年1月、尾形の勤める航空会社は戦後最大の負債額を抱えて経営破綻した。再生のための最前線ともいえる経営企画部に異動した尾形は、中期経営計画や再上場計画を担うグループで、最年少メンバーとして奔走することになる。その陣頭指揮を執っていたのが、政府からの要請を受けて会長に就任した、経営の神様と呼ばれる男だ。目が覚めんばかりに強烈に発せらせれるエネルギーが、組織全体の意識改革を推し進めていく。

 その再建計画の際はもちろん、それ以前から尾形は上司に厳しく鍛えられた。もっとも印象に残っているのは入社4年目、ライン部門の企画担当をしていたときのことだ。経営からの指示をそのまま各現場へと降ろした尾形に、マネージャーたちは猛反発した。「こんな施策、できると思うのか? お前、現場の実状をまったく理解してないだろ」。航空会社という巨大な組織において、それぞれの立場や大切にしていることが異なる中、いかに現場に寄り添いながら、全体最適を図っていけるか。社会人としての骨となる基礎を叩き込まれた出来事だった。

 成果を発揮しつつあった入社6年目、会社は経営破綻に追い込まれる。翌年には東日本大震災が起こり、日本中が暗い空気に覆われた。会社を去っていく同僚や先輩も少なくない。尾形の人生の中で、もっとも苦しい時期だった。それでも心の翼はまだ折れていない。各現場のリーダーを中心に策定した、40項目におよぶフィロソフィーが徐々に浸透し、会社は蘇り始めた。

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 尾形は東京に生まれ、中学・高校時代は横浜にある学校に通った。バスケットボール部の試合帰りや休日などに、友人と立ち寄ったのが〈みなとみらい〉エリアだ。中学1年生のときには、当時高さ日本一のビルがポツンと立っているだけで、周囲にはがらんと空き地が広がっていた。年を追うごとにその周りに道路が整備され、ホテルや商業施設が一つ、また一つと姿を現してくる。 そんな街の成長になにか惹かれるものを感じて、尾形は足を運び続けた。

 大学は法学部に進んだが、法曹界という専門分野よりも、幅広い経験のできる仕事に就きたいと思っていた。就職活動では、ずっと見続けてきた街の成長の様子が頭をよぎり、デベロッパーの説明会にも足を運んだ。だが、国内外のさまざまな街と街を繋ぐというダイナミックさに惹かれて、最終的には航空会社に就職した。

 巨大な航空会社の再建業務に関わる中で、組織とはなにか、顧客とはなにか、安全とはなにか、サービスとはなにか……という無数の問いと毎日向き合うことになる。そして、自分とはなにか、という問いに突き当たったとき、尾形はこんな答えを出した。新しい機材を導入し、新しい路線を開設し、国内外に数多くの旅客や貨物を運ぶ。これほどダイナミックでやり甲斐のある仕事はなかなかない。だが一方で、各都市を点と点で結ぶルートが張り巡らされた世界地図からは、実際のスケール感がなかなかイメージできず、どこか手応えが弱い。中高生のときに目にしてきた、高層ビルという点から街という面へと、生き物のように構造物が広がっていくあの感覚を、自分は仕事で味わってみたい。

 もちろん、会社から飛び出すことに葛藤は小さくなかった。再建後の会社がどんな翼を広げていくのかをこのまま見届けたい想いもある。そんな迷いを振り払ったのもまた、街だった。尾形が当時、近くに暮らしていた豊洲エリアは、開発により大きな変貌を遂げていた。休日に訪れた〈アーバンドックららぽーと豊洲〉の一角は埠頭に面していて、かつて造船所だった街の歴史をうかがい知ることができる。ここがコアとなって、波紋のように広がっていく人のエネルギーを感じるにつれ、胸が高鳴る。尾形はキャリア採用という形で三井不動産への入社を果たした。航空会社が再上場を遂げた2週間後のことだった。

 希望した商業施設本部の、営業部営業グループに配属された尾形は、アウトレットの担当として二つの役割を任された。一つは、当時約500社あったテナントのうち40社の窓口となること。もう一つは、埼玉県入間と千葉県木更津、北海道北広島の〈三井アウトレットパーク〉の施設担当として、増床計画やテナントミックスを開発担当者と協創していくことだ。社会人9年目とはいえ、新卒で入っている2、3年目の若手社員たちのほうが、商業施設の実務では勝っていた。丁寧に仕事を教えてくれる彼ら彼女らに、1日も早く追いつき追い越したい。そして、社会人の先輩としていろんなことを教えられるようになりたい。その一心で仕事に食らいついていった。

 そうした焦りこそあったものの、仕事そのものは最初から楽しくて仕方がなかった。もともと人と喋るのは好きだったから、営業は性に合っていたのだろう。相手と和やかに雑談しながらも、ビジネスの話に結びつけていく。40社の担当ともなれば業態もさまざまで、1社1社との出会いは新鮮でたまらない。Tシャツに短パン姿のアパレルの部長が、「ちわーす。尾形ちゃん、元気?」と現れる。前職ではあり得ない光景ばかりだった。

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 徐々に仕事に慣れていった尾形に、大きな仕事が舞い込んできた。〈三井アウトレットパーク幕張〉の全館リニューアルと増床における、テナントまわりの司令塔役である。施設の営業を継続させながら、既存棟の大規模リニューアルと、テナントの入れ替え・移転を段階的に進め、同時に新規棟を建築するというプロジェクトだ。もちろん、閉館して一気に工事を進めるほうが難易度は低い。それでも、買物に訪れるお客さまや地域のためにも、休業期間を設けたくないテナントのためにも、同時進行で挑戦しなければならない。この施設が生み出すエネルギーの流れを、停滞させてはならないのだ。

 100区画に入っている各テナントの移転や工事のスケジュールを組むだけでも、複雑なパズルに挑むような作業になる。きっちりと計画できても、その通りに実行できるとは限らない。たとえば職人の手配が厳しいという理由で、現状復旧や改装の工事が1日延びる。すると、テナントはスムーズな移転が出来なくなり、商品や什器類を店舗から遠隔地の倉庫などに一時保管させる手間が生じる。予定がたった一つ、たった1日ズレるだけでも次々としわ寄せが生じ、全テナントに影響してしまう。尾形は何度も計画の組み直しに挑んだ。

 社内の開発・営業・運営担当、ゼネコン、テナントという多くの関係者たちと毎日のように厳しい協議を繰り返し、同じゴールに向かって走り続ける。無事に迎えたグランドオープンからしばらくののち、訪ねたテナント企業の担当者が、雑談の最後に声を弾ませた。「そういえば、幕張のときはヒヤヒヤしたけど、想定以上の売上が続いていて、スタッフたちも喜んでいるよ。尾形君の提案に乗って良かった、ありがとう」。プロジェクトの成功を、尾形がもっとも実感できた瞬間だった。

 入社から8年目の2019年、尾形はホテル事業部に異動し、開業予定も含めて6物件の開発に携わってきた。中でも印象深いのは、2020年夏に開業した〈三井ガーデンホテル豊洲ベイサイドクロス〉である。客室の内装や家具、共用部の細かなデザインやアート、レストラン、BGMやアロマにいたるまで、ホテルの世界観を構成するあらゆる要素に対して一切の妥協をせず、社内の関係者や設計会社と打合せを重ねて仕上げていく。開業直前の内覧会には、開発の初期段階を手がけた担当者たちも駆けつけた。「あの連結ブリッジ、行政との交渉は苦労したなー」「ここ、うまく仕上げてくれたな。ありがとう!」。歴代の開発担当者たち一人ひとりが流した汗と想いを脈々と受け継ぎ、アンカーとしてバトンを受けた自分が、一つの建物に命として吹き込んでいく。そんなモノづくりの醍醐味を、かけがえのない喜びとして味わった瞬間だ。

 とくにこだわったのは、アプローチ部分だった。エレベータを36階で降り、あえて照度を落とした風除室を抜けた瞬間、正面の大きなガラス窓越しに地上165メートルからの圧巻のパノラマビューが広がる。東京タワーやレインボーブリッジ、都心のビル群……。夜はロビーの照明がガラス窓に映り込まないように、深夜まで微調整をくり返してきた。その眺望に釘付けとなり、チェックインカウンターに向かわずにしばらく窓辺で佇むお客さまの姿を、開業後に何度見たことだろう。尾形も窓辺に近付いて夜景を眺める。ビルやマンション、行き交う車から放たれる無数の光の粒。そこには、間違いなく街のエネルギーが感じられた。

 2021年に尾形は〈三井不動産ホテルマネジメント〉に出向となり、運営サイドからホテルに携わり続けている。着任したのはコロナ禍の真っ只中で、感染拡大が落ち着いたかと思うと、またすぐに次の波がやってくる。なかなか先が見えてこない。それでも、ホテルのスタッフたちと知恵を絞りながら、逆風に抗っていく。多くの人間の想いが連なって生まれたホテルに、一人でも多くのお客さまを迎え、心から満足してほしい。開発担当者たちから受け継いだ想いを、運営の立場としてどう現場に反映させていけばいいのか。環境がどうあれ、最前線で日々何千というお客様をお迎えする現場の会社にいるからこそ、できることはまだまだあるはずだと尾形は考えている。個々のスタッフたちが持つ力を存分に発揮することができれば、ホテルの魅力もさらに増すことだろう。

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 三井不動産に来て10年、中途採用の説明会でパネラーを務める機会がよくある。決まって話すのは、当時稀だった航空業界の出身の尾形に対して、同僚たちが冗談めかして話しかけてきた入社当初のエピソードだ。
「不動産という地べたの仕事に、尾形さんは天から降りてきたわけですね」。
 実際、業務には天と地ほどの違いを感じ、これまでの自分の経験の意味はなんだろうと考えたこともあった。だが、あるとき、ふと思った。それぞれの業界の専門知識を肉に例えるなら、どこでも通用する力は骨だ。前職での数々の修羅場で、徹底的に骨を鍛えてもらった自信はある。大きく広げた翼だって、堅くてしなやかな骨があってこそ、その上につく筋肉が翼を羽ばたかせることができるのだ。そんな話のあと、尾形はこう締めくくる。 「だから、どんな業界出身でも大丈夫です。皆さんが培ってきた骨に自信を持って、うちに来てください」。