そこに潜んだ最適解に、
耳を傾ける。
松田 圭右
Keisuke Matsuda
2018年入社
前職:国家公務員
剥き出しになった鉄骨の柱と梁がポツンポツンと点在している。眼前には、住宅の基礎部分だけが残された土地が広がり、集積されたガレキがいたるところに小さな山をつくっていた。東日本大震災から約2年、松田は三陸沿岸の被災地を訪ねていた。続けて足を運んだ福島では、街並みは元のまま残っている。だが、住民が一時避難して空っぽの街は、まるで2011年3月11日から時間が止まっているかのようだった。
経済産業省にいた松田が震災復興の仕事に携わり始めたのは、2013年のことである。国によってインフラの復旧や道路の整備計画が急ピッチで進められ、被災地の産業を立て直していくフェーズに移っていた。まずは中小零細企業や商店主の声を聴いて回る。「どんなことにお困りですか?」「なにもかも全部だよ。店はすっかり流された。再建しようにも借金だけが残りお金はない……」。
金融機関に返済の猶予や借り換えを求めると同時に、国の制度融資から貸付を行う。その上で、暫定措置として家賃負担ゼロで仮設店舗での営業を再開してもらう。第一歩が軌道に乗ってきたところで、地域のどこにどんな機能を集積させるかというゾーニングも含めた復興計画を、各自治体を中心に進めていく。整備費用は国が支援する。こうした一連の復興支援策を、東京と被災地を何度も往復しながら整えていった。
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松田は広島で生まれ、父親の転勤にともない県内のあちこちで暮らした。子供時代に夢中になったのは、ミニ四駆に飛行機、自転車に都市開発ゲーム、その他も挙げればキリがない。好奇心の対象はコロコロと変わったが、モノをつくり上げることが好きだった。特に大きな衝撃を受けたのは、家族旅行で渡った瀬戸大橋である。これだけ大きなものを、どうやって支えているのだろう? ついには大学での研究テーマにするほど、橋の構造の意匠性や機能性に惹かれていった。
就活のときには、国家公務員志望の友人たちに誘われて、各省庁の合同説明会に参加した。その中でもっとも惹かれたのは、土木建築などのインフラを管轄する国土交通省よりも、経済産業省だった。いろんなモノをつくる企業の人たちと一緒に、日本の経済を牽引していく。役所でありながら民間企業に近い感覚で仕事ができる。関わる業種が幅広く、好奇心の強い自分に向いているかもしれない。いきいきと話す経済産業省職員の話にどんどん惹かれていった。
入省後は、小売業支援・事業仕分け・航空機開発・震災復興・中小企業・ベンチャー企業支援・人材育成・採用と、さまざまな領域に関わることができた。中でもやりがいを感じたのが、震災復興の仕事だ。前例のない規模の計画を、関係省庁と喧々諤々しながらも、最終的には理解し合って推進していく。自分たちがつくった仕組みがやがて正式に運用され、街の形が徐々に姿を現す。人の流れが戻り、新たな生活が始まり、新しいコミュニティが醸成されていく過程を目の当たりにし、松田の胸は高鳴った。最後に携わった人事の仕事でも、新卒採用の学生たちを前に、復興事業での経験をとくに熱っぽく語っている自分がいた。何度も語り、これまでの人生を振り返るうち、松田の中である想いが膨らんでいく。「街づくりに直接関わる仕事がしたい」。
自分の軸に気づいた松田は、転職活動を始めた。設計会社やゼネコンなどの選択肢も考えられたが、デベロッパーに的を絞った。震災復興を進める中でもっともやり甲斐を感じた仕事に、事業自体が近いと思ったからだ。世の中のトレンドを先取りしながら政策に組み込んでいくという、経済産業省で叩き込まれた思考も役立つのではないか。とくに三井不動産のフロンティアスピリットには自分に近いものを感じていた。
入社後は法人営業統括一部に配属され、竣工したオフィスビル賃貸業務のとりまとめを担うことになった。オフィスマーケット動向を踏まえた賃料検討や、年度計画の策定、各ビルを横断する課題への対応方針の策定やその横展開が主な業務になる。松田が当初戸惑ったのは、策定したものを「作用させること」だ。前職では、制度をつくり施行すれば遵守してもらえることが前提だった。だが、企業では必ずしもそうはいかない。施策を各現場で実行していく社内外の関係者の気持ちも汲み取らなければ、物事は円滑に進んでいかない。
もう一つ戸惑ったのは、三井不動産の企業風土である。「社員同士の距離がすごく近い」と、誰もが口を揃えるとおりの雰囲気だった。役所から転職した松田にとっては、かなりウェットな印象でもある。だが、デベロッパーの仕事は、すり合わせの連続の中から価値を生み出していくことだ。この関係性こそがこの業界における成功の鍵でもあり、お互いをよく知っているからこそ仕事のすり合わせもしやすくなるのだと、徐々に新しい環境や仕事の進め方に馴染んでいった。
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入社から約3年半が過ぎた2021年秋、松田に異動の辞令が下りた。新たな配属先はビルディング事業三部。担当物件は、2022年8月末の竣工に向けて開発が進められてきた、〈東京ミッドタウン八重洲〉である。東京駅前という好立地に、オフィスや商業施設はもちろん、日本初進出となる外資系ホテル、地下バスターミナル、住宅、さらには小学校までもが集積するという前例のない複合型ビルのプロジェクトだ。
松田は大きなプレッシャーを抱えることになった。2022年9月には小学校が開校、次いでバスターミナルと13の店舗からなる地下部分の施設が先行オープンを控えている。ビル自体の竣工が着々と進む中で、開業に向けたさまざまな業務で遅れをとるわけにはいかない。地権者の皆様にしっかり引き渡しできるのか。竣工後の物件運用ルールを整理しきれるのか。契約書類に不備はないか。複合型施設のため関係法令が多岐にわたる中、法令対応に漏れはないか。確実に進めていかなければならない要件が、何百とひしめいている。多様なオフィスビルを横断的に見ていた法人営業統括一部時代の経験がなければ、太刀打ちできなかったかもしれない。
プレッシャーに打ち勝つエネルギーの源となっているのは、このプロジェクトに寄せられる多くの人たちの想いに他ならない。自分の入社前から計画をつくってきた社内の関係者からは、渡されたバトンの重みと同時に、描いてきた構想が目の前に現れゴールに近づいていくという高揚感をもらっている。また、ゼネコンやグループ会社の方々からは、「こうしたほうがもっと良くなる」という数々の提案を受け、そのプロ意識や向上心から多くの刺激を得ている。なにより、地権者の方々の中には、開発エリアにあった小学校の出身者含め、数十年もの間ここで暮らしてきた人たちもいて、話を聴くたびに「本当にこの街が好きなんだな」と、八重洲への愛着が伝わってくる。竣工を目前に控え、運営へとしっかり繋いでいく段階に入っている。
三井不動産にやって来て約4年、入社動機の一つでもあったフロンティアスピリットというものを、松田は肌で感じている。社会の基盤を扱う歴史ある重厚な大企業の側面を持ちながらも、新しいことに挑戦し実現させていくベンチャー的な側面が強いのだ。過去の実績の延長線上であぐらをかいては戦っていけないという、いい意味での危機感が社内にはある。そして、「世の中に価値を提供したい」という、社員一人ひとりの志が通底している。
そんな社員たちの志には共感しつつも、それを達成するにあたり松田は自身に欠けている視点に気づいた。前職時代から意識的に新しいビジネスモデルやサービスなどの情報には触れてきたが、あくまで書面などを通じたインプットであり、第三者目線で分かった気になっていた面がある。そこで松田は、街で過ごす「いち当事者」の視点で、意識的にいろんな街や話題のスポットに足を運んだり、定評のあるホテルに泊まったり、いろんなイベントに参加したりするようになった。そうすることで初めて、実体験が自分に蓄積され、世の中により良い価値が提供できるようになると松田は思っている。
いつか挑戦してみたいことは、一般的に価値が見出しにくいと捉えられている土地や建物に対して、アイディアの力でポテンシャルを最大限に引き出すような仕事だ。前職時代には、震災復興や中小企業支援といった業務の中で、法令や資金の問題など、常にさまざまな制約があった。だが、限られた条件の中でも、可能な限り相手の要望に耳を傾け、知恵を尽くして工夫と調整をすることで、生み出す価値を最大化することにやりがいを感じていた。三井不動産という舞台でも、こうした社会に前向きなインパクトをもたらすことはできると松田は確信している。
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東京ミッドタウン八重洲に携わって間もない頃、ビルに入居する小学校の校長と語り合った。
「松田さん、私はこの新しい校舎で、子どもたちには気持ちよくのびのびと学んでほしいと願っているんです。世界になにかを発信できるような人間になってくれると嬉しいな」。
松田は共感し、大きく頷いた。
こうした人たちの想いをまちづくりに吹き込んでいきたい。土地や建物のポテンシャルを最大限引き出し、そこで過ごす人々の暮らしを豊かにすることは、次世代のより明るい未来につながっていく。そのためにこそ、デベロッパーという仕事がある。
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