娘たちとも分かち合える
喜びを求めて。

Mayuko Hotta

2018年入社

前職:総合商社

総合商社に約15年所属し、CO2の排出権取引や新エネルギー関連のベンチャー投資、LNGの権益管理といったビジネスに携わったのち、2018年に中途入社。オフィスビルのテナントリレーション業務を経て、現在はロジスティクス施設の運営を担当している。

 ミシガン湖沿いに北上する車中、堀田ははやる気持ちを抑えきれずにいた。向かう先は、シカゴの中心部から約20キロ郊外に位置する、あるバイオベンチャー企業だ。微生物の力で製鉄所や製油所の排ガスから次世代バイオ燃料を生産していく、ガス発酵技術。その戦略的パートナーとしての出資が実行され、同社技術のマーケティング活動をスタートさせるフェーズに入っていた。「ようこそ、マユコ」と、女性CEOが晴れやかな表情で堀田を出迎える。これまでにも商談や会食を重ねてきたが、何度会っても印象は変わらない。世界の名だたるベンチャーキャピタルと渡り合い、若手からベテランを含む多様な社員たちを率いてビジョンを実現していく姿のなんとカッコいいことか。

 総合商社に入社して以来、堀田は主にエネルギー部門でさまざまなビジネスに関わってきた。節目となったのは、政府による京都議定書延長への不参加表明だった。2008年から約4年担当したCO2の排出権取引ビジネスが鈍化し、堀田の所属するチームは新たな収益の種を探し育てる必要に迫られたのである。そこで出会った種の一つが、シカゴのバイオベンチャーだった。

 このビジネスは地球温暖化対策に寄与するものであり、社会的意義は大きい。会社も長期的視点に立った投資基準を新設し、新規事業領域への投資を後押ししていた。だが、同社の技術の優位性や将来性を疑問視する慎重論に押され、社内からの理解はなかなか得られなかった。それだけに、出資が決定されたときの喜びもひとしおだ。堀田は、苦労を共にした同僚や女性CEO以下担当者たちと一緒にやり遂げた充実感とともに、なんとしてもこの投資を成功させようという熱い想いに背筋が伸びる。

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 堀田は高校時代までを名古屋市で過ごした。幼い頃から新聞チラシの間取り図を見たり、自分で想像したりするのが好きだった。小学6年生のときに自宅を建て替えた際の間取りには、玄関から続く開放的な廊下と、二間続きの和室という堀田のアイデアが採用されたほどだ。設計士に憧れていたものの物理が苦手だったため断念した。そこで、設計と同じくらい好きな自然や生物に関係する研究者を志して北海道の大学の農学部に進む。絶滅危惧種保護のため、種子のDNA解析に取り組むなど、生態学やバイオテクノロジーを学んだ。

 研究も面白いが、自分の知っている世界はまだとても狭い。他にも面白い世界があるかもしれないと考え、博士課程も視野に入れつつ、堀田は就活を始めた。そして、多くの企業説明会に参加するうちに気づく。「自分にとっては、どんなモノを扱うのかではなく、どんな人たちの中で成長したいかが大切なのではないか」。そう感じさせてくれた、魅力ある人たちが揃う総合商社を就職先に選んだ。どの部署に配属されても、グローバルな舞台で活躍できるビジネスウーマンになれるはずだという期待も大きかった。

 その見立ては間違っていなかった。1年目から中国の青島に出張したのを皮切りに、アジア・北米・欧州・中東を飛び回り、現地の人たちと仕事をしてきた。ミッションを達成しなければというプレッシャーは小さくなかったが、異なる文化の中でハードルを乗り越えていく高揚感は何事にも代え難い。一方、こんな疑問も覚えるようになった。「たくさんの経験を積ませてもらった。でも、それを生かして自分は一体なにがしたいのだろうか?」

 長女の出産をきっかけに、自問に対する単純明快な答えが見つかった。我が子に向かって「これ、お母さんがつくったんだよ」と、わかりやすく伝えられるような、形あるものを残していく仕事がしたい。「カタールの権益を管理している」と言っても、大人でさえピンと来ないだろう。次女の育休期間には、改めてこれからのキャリアについてじっくり考え、試しに人材サービス会社にも登録した。商社を辞めるつもりはなかったが、自分にはどんな選択肢があるのかを知ってみたかったのだ。

 30代後半という年齢もあり、堀田に人材サービス会社から紹介されるポジションはベンチャーの経理部長などスペシャリストが大半だった。ゼネラリストとしての教育を受けてきた自分にはなかなかマッチしない。そんなある日、紹介されたのが三井不動産だった。デベロッパーは考えたこともない業界だったが、「海外での事業展開をより加速していきたい。前職の業種は問わない」という説明に惹かれる。過去に諦めた設計士という仕事にもどことなく近く、何より求めていた「形に残す仕事」であることに、どこか運命的なものを感じた。知人を通して直に会った三井不動産の社員からは、自由闊達さや、人を大切にするカルチャーが伝わってくる。この空気感は現職の総合商社とも近い。「ここで挑戦しなかったら後悔する」。堀田は転職のプロセスを進めることを決めた。

 三井不動産に入社した堀田は、法人営業統括二部に配属され、オフィスビルの既存テナントとのリレーション深化と収益の最大化という役割を任された。最初に驚いたのは、テナント業種の幅広さだ。前職ではオイルメジャーやガス会社、電力会社など、付き合う業界は限定されていた。ところがオフィスビルとなると、重工業から小売、老舗からベンチャー、国内から外資系まで取引先は多種多様だ。勢いのある企業はオフィスの増床を続け、逆の場合は縮小するという、日本経済の縮図のようでもある。活況なオフィスマーケットを肌で感じていた堀田だったが、状況が一変した。入社2年目、新型コロナウイルスの感染拡大である。

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 在宅によるリモートワークや地方への本社移転など、感染拡大は働き方を大きく変えた。風向きが一気に反転し、これまで好調だったオフィスマーケットも縮小方向に向かう。業績が伸びている企業であっても、新しい働き方へのシフトからオフィスを拡張するとは限らない。実際、堀田の担当するテナントや物件の中にも、コロナ前には想定されなかった要望を受けたり、契約が突然反故にされたりするような事態もあった。強気の交渉はもう通用しない。今後のオフィス事業をどうすべきかという、根本的な問いに組織全体が直面せざるを得なくなった。

 窮地を乗り越えるヒントを堀田に与えてくれたのは、オフィス営業のプロとして過去にもマーケットの様々な局面を経験してきた上司や先輩たちの姿だった。常にクライアントファーストの視点で相手の要望の核心を聞き出し、自分たちの譲れないものは守りつつ物事を進めていく。そんな姿勢が確かなリレーションを築き上げてきた。今だからこそ、目先の利益にとらわれず、相手に寄り添うことが肝心なのだ。実際、誰もがそう信じて動いていた。

 あるとき、メンバーたちに部長が語った言葉も忘れられない。「コロナ禍で足腰が鍛えられた。オレたち、強くなったよな」。この会社の人たちはいつだって、仲間と一緒に逆境をチャンスに変える力を持っている。

 2022年の春、入社4年目の堀田に異動の辞令が下った。配属先はロジスティクス本部。デベロッパーとしてのノウハウを生かした物流施設〈三井不動産ロジスティクスパーク(MFLP)〉の運営担当だ。カフェテリアやフィットネスルームを完備した物件もあれば、保育施設を併設した物件もある。保管・搬入・搬出といった“モノ”だけが主体だった昔の倉庫のイメージとは違い、いまや快適性という“働く人”も主体へとシフトし、堀田の興味もさらに膨らむ。

 近年はBCP(事業継続計画)の観点から、建物自体の強靱性や停電対応といったハード面だけでなく、突然襲ってくる有事にどう行動できるかというソフト面も重要になる。堀田は事業部の災害対策担当リーダーとして、首都圏直下型地震を想定した全社訓練のロジスティクス本部総指揮を務め、有事の際の現場との連携強化に取り組んでいる。

 一方では、夢を感じられる新たな企画にも携わっている。『街づくり型物流施設』を標榜している〈MFLP船橋〉を舞台に、敷地内の公園をメイン会場とするテナント従業者や近隣住民を対象とした大規模な催し、地元の小学校の社会科見学の受け入れなど、各種企画を準備している最中なのだ。チームメンバーとあれこれアイデアを出し合いながら内容を練っていくのには、大変な作業を伴う。しかし、ロジスティクス事業は誕生から約10年と歴史が浅いため、ベンチャー的にさまざまな提案をどんどん実行できる。そうした環境も味方に、「この施設を利用したい」「ここに入居してよかった」と思ってもらえる、言わば“三井のファン”を増やしていきたいと堀田は心を躍らせている。

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「今日はね、お母さんがお仕事しているホテルに泊まりに行こう」
 その日、2人の娘と夫を連れて訪れたのは、堀田が当時担当していた物件である。娘たちはラウンジに広がる窓に鼻の頭をくっつけて、歓声をあげる。
「見て見て!新幹線!」
「ホントだ!すごーい!あれは山手線?」
 高架のレールをあらゆる電車が行き交う様子を間近に見下ろせる立地なのだ。
「お母さんが、このホテルやお隣の大きなビルの担当をしているんだよ」
 娘たちに誇らしい気持ちで伝えることができた。小さな瞳の輝きがみるみる増していく。これからもたくさんの喜びを仲間たちと味わい、そして娘たちと分かち合っていきたい。