母として、私として、
歩んでいく。

Rie Ishikawa

2015年入社

前職:法律事務所

渉外弁護士として法律事務所でファイナンス案件を主に手がけ、ロースクール留学や一般企業への出向を経験したのち、2015年に中途入社。オフィスビルのテナント誘致や開発業務を経て、現在は経理部で財務を担当している。

 JFK空港のラウンジの窓の向こう、旅客機が滑走路を横切っていく。ソファに腰かけ、石川は帰国便の搭乗開始を待っている。ニューヨークに降り立ったのは、約1年前のことだった。籍を置く東京の法律事務所では、入所5〜6年目以降にロースクールに留学し、自らが専門とする法律や海外法を学ぶことが1つの道筋として定着していた。石川もまた、世界中から弁護士が集まる環境に身を置き、刺激的な毎日を送ってきた。

 留学前の期間に石川はM&Aとファイナンスの分野を選び、それぞれの案件をチームの一員として経験した。どちらも面白かったが、自分に向いていると感じたのが後者である。その中でも、当時盛んになり始めたばかりの不動産ファイナンスに奥深さを感じた。入所3年目からは、不動産会社系列の投資顧問会社に出向する機会にも恵まれた。

 留学前の4年間を振り返ると、とにかく激務の一言に尽きる。同僚たちと昼も夜もずっと一緒にいたような印象が残っているが、互いに切磋琢磨しながら一つひとつの案件に取り組むのは楽しくて仕方なかった。だが、帰国後には、同じような働き方はできないだろう。「そろそろ、搭乗ゲートに行こうか。身体は大丈夫?」。お腹を見ながら気遣う夫に石川はコクンと頷く。2人は、新しい命を授かっていたのだ。

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 石川は神奈川県横浜市で生まれ育った。幼い頃は内向的で本ばかり読んでいたが、小学校に上がった頃からはどんどん前に出ていくタイプになり、クラスの委員なども積極的に務めた。中高は私立の女子校に通い、法学部に進学する。大学4年生のときに司法試験に合格し、司法修習では裁判官への誘いも受けた。いくつかの進路の選択肢の中でもっともしっくり来たのが、チームを組んでさまざまな企業の案件に関わる法律事務所の渉外弁護士だった。

 もともと弁護士を志したのは、母親の影響が大きい。父親と共に歯科医師として働いていたが、2人の娘の子育てとの両立が難しかったために仕事から離れた。石川が中学生の頃、復帰を考えたこともあったが、歯科技術の進歩の前に十数年のブランクを埋めるのは容易ではない。やむなく諦めた母親は娘たちによく諭した。「将来、家庭とずっと両立できる仕事に就きなさい。自由に自然体で生きていくためにも、自分の力で稼いでいける人になるのよ」。

 帰国後に出産し、6か月の産休から復帰した石川は、再び同じ出向先で働くことになった。三井不動産グループの投資顧問会社である。仕事で関わる三井不動産本体の担当者の中には、自分と同じようなワーキングマザーが少なくないことに気づく。留学も経て前回の出向時とは視点が変わったせいか、一緒に働く担当者たちの仕事に対する想いには、改めて感じ入った。弁護士的な観点で大切にするのは契約書という書面上の法律の正しさだが、三井不動産の担当者たちは誰もが「こういう土地で、こういうことをしたい!」という夢を語るのだ。そんな姿を何度も目の当たりにするうちに、三井不動産という会社で働いてみたいという気持ちが膨らんでいった。

「えっ!? 弁護士資格を持ってるのに、どうして総合職に転職するの?」。キャリア採用の選考に合格した石川に大半の同僚が否定的な反応を示したが、応援してくれる人もいた。大きく背中を押してくれたのは、法律事務所の入所以来ずっと世話になった女性パートナー弁護士だった。もともと三井不動産の案件を担当していて、投資顧問会社への出向を推薦してくれた人だ。彼女は石川をこう送り出した。「他の事務所に移籍するとか、一般企業の法務に行きますって話なら断固反対するけど、三井不動産に総合職として行くのなら反対できない。しっかり楽しんできなさい」

 三井不動産に入社した石川は、法人営業二部に配属され、オフィスビルのテナント誘致を担当することになった。 営業経験ゼロでこの世界に飛び込んだ自分に、果たしてセールストークができるのだろうか?という不安もあったが、それは杞憂だった。企業の担当者をビルに案内して入居してもらうためには、そのビルの良さを伝えなければならない。先輩や同僚から学んで詳しくなっていくうちに、開発や建築に携わったたくさんの人たちの想いが詰まったビルへの愛着が湧き始める。仕事に向かう気持ちも育まれていき、営業場面での会話も弾むようになった。

 入居が決まれば、そのフロアで顧客のビジネスがこれから始まっていくのだという、高揚感と大きな達成感も得られた。中でも、フラッグシップとも言える新築ビルとなれば、自然と思い入れも増す。自分なりに工夫して丁寧に営業を続けたところ、ついに先方から電話が入った。「御社の物件に決めました」。その瞬間、自分の想いが通じたと飛び上がるほど喜んだのを覚えている。のちに異動が決まったとき、部長からはなむけの言葉を贈られた。「あのときの石川さんの笑顔は、忘れられないよ」

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 入社3年目に異動したのは、ビルディング事業一部である。石川が担当した業務は大きく2つで、既存ビルの価値をより高めるためのテナント向けサービスづくりと、仕入れた土地やフロアをどう使うかという企画開発だ。前者では、〈日本橋室町三井タワー〉の2フロアを舞台に、カフェ併設の無料ラウンジ、個室ブースや貸し会議室、会員制フィットネスクラブ、会員制ラウンジを利用できるサービス〈mot. Mitsui Office for Tomorrow〉の立ち上げに携わった。オフィスビルのフロアを営業する際に大きな武器となるアイテムをつくるという重要な役回りにあたる。

 後者の企画開発業務では、誘致〜設計〜施工〜竣工まで一貫して関わった案件もある。一般社団法人東京アメリカンクラブと三井不動産の初の協業となる〈東京アメリカンクラブ日本橋〉だ。創立93年の伝統ある同クラブがサテライト施設を持つのも初なら、オフィスビル内に会員制の国際的社交クラブをテナントに誘致するのもデベロッパーとして初となる。初尽くしとも言えるエポックメイキングな案件のコントロールを、石川がほぼ一人で担うことになったのだ。

 組織形態が特殊であるため、東京アメリカンクラブの担当窓口からだけでなく、さまざまな会員から多様な要望が飛んでくる。それをうまくまとめ、予算とスケジュールの管理をし、設計会社やゼネコンと打合せを進めていく。会員と喧々諤々の議論を交わした局面も何度となくあった。それら一つひとつを乗り越えて迎えたオープングセレモニーの夜、会員の代表者がスピーチの最後にこう語った。「色々あったがワンチームになれた。誰一人欠けてもできなかったプロジェクトだったと思う。石川さんの功績をみんなに伝えたいから、乾杯の挨拶を一緒にお願いできるかな」。〈日本橋室町三井タワー〉6階に誕生させたクラブに集まった100人近くの会員たちの視線が、一斉に石川に向けられる。会場にはスタンディングオベーションの音が鳴り響いた。

 2021年9月、経理部財務グループに異動という辞令を受けた。このとき、石川は第2子を授かっていて、5か月目に入っていた。挨拶に訪ねた異動先の部長に石川は詫びた。「年末には産休に入ってしまって、皆さんにご迷惑をおかけすると思います」。部長は「そうか、2人目、おめでとう。まあ、産休前に少しずつ、どんな仕事なのか学んでもらう感じかな。ゆっくりでいいから、気にしないで」

 ところが、そうはいかなくなった。ドル建ての社債を発行するという大仕事が急に舞い込んできたのだ。財務に外債発行の経験者がいない中、11月から発行準備が始まった。石川は当初、サポート的な立場だったが、傍から見ていても苦戦を強いられているのは明らかだった。思わず「私も入ります!」と手を挙げた。前職の経験を活かして、いつまでになにをやるというスケジュールを組み、各作業を若手メンバーに振り分けていく。証券会社の営業日に合わせて年末ぎりぎりまで馬力を出し切り、下準備までを終えた。石川は年明けから産休に入り、投資家へのアナウンスやスケジュールの決定といった最後の実行フェーズは残ったメンバーが進めていった。

 そして、1月14日、ニュースリリースが出された。〈国内不動産業界において初の米ドル建てグリーンボンドを発行 ニューヨーク50ハドソンヤードの開発資金に充当〉。石川のもとに、メンバーたちから次々とメールやチャットが入ってくる。「無事発行されました」「ありがとうございました!」。産休に入ると同僚との接点も少なくなるため、仲間からの連絡に嬉しさもいっそう増す。石川は2月に無事出産し、6月から職場復帰を果たした。かつて母親に言い聞かされた言葉が蘇る。「私みたいに仕事を諦めないで」。ブランクを感じずに仕事を続けられているこの状況を「自分は会社と仲間、家族に恵まれているな」と、あらためて噛みしめた。

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 とある物件の設計管理をしていたとき、同僚が何気ない会話の中で言った。
「設計会社の人たちから訊かれたんです。石川さんって設備にも詳しいですよね。あの人、なにやってた人ですか?って」
 入社当時から「弁護士資格を持っているだけに、契約書を読み込むのが早いよね」とよく言われたが、それは前職の延長線上の評価に過ぎない。だが、設計会社からのこの一言を聞いた瞬間、三井不動産の一員として立派に認められた気がして、嬉しさが不意に込み上げてきた。
「あ、そんな話があったんだ。ふーん」
 冷静を装いながらも、頭の中では鼓笛隊が祝福のパレードを行進している。石川は頬がほころびそうになりながら、ひとりごちた。
「設備に詳しい人? それはそうよ。だって、すっっっごく、夢中になって勉強したんだから」