つくっているのは、
みんなの未来なんだ。

Kazuhiro Hirao

2010年入社

前職:外資系金融機関

外資系投資銀行で約3年間、金融機関のM&A・資金調達・不動産ファンドの再編などを手がけたのち、2010年に中途入社。商業施設の用地取得・開発、人事部での制度企画、オフィスビルのサービス開発・運営など、さまざまな領域に携わっている。

ある集合住宅を見終えた平尾は、次なる目的地の商業施設に向かっていた。カバンの中には、この2日間で回らなければならない、数十件におよぶ物件のリストが詰め込まれている。倒産の危機にある不動産会社A社と、救済を検討する海外ファンドの間に立ち、資金調達をスムーズに進めるのが平尾のミッションだった。関東広域の所有物件すべてに足を運んで査定を行い、A社の自己資産をはじき出していく。

 外資系投資銀行に新卒入社して2年目の秋を境に、平尾の仕事は大きく様変わりしていた。きっかけは、リーマンショックである。それまでは不動産ファンドの仕事が中心だったが、財務改善を急ぐ銀行の資金調達や、銀行同士の合併など、顧客を救うための業務に追われるようになった。調達する額は千億規模が当たり前で、中には1兆円にのぼる案件もある。

 そんな中、担当した一件がA社だった。一つひとつの所有物件の査定額は桁が3つも4つも小さい。巨額を動かす銀行案件のほうが社内の評価としては高かったし、メディアのトップを飾るような大仕事を成し遂げたという意味でのやり甲斐はあった。それでも自分にとっては、こうして一つひとつの物件を回るほうが、人の生活がリアルに感じられ、手応えが大きい。この想いは、A社の社長からの言葉で、より強くなった。「平尾くん、ありがとう。おかげで、会社の未来を閉ざされなくて済んだよ」。

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 平尾は京都市内に生まれ育った。今でこそ世界中の観光客が目を見張る街並みの価値がわかるようになったが、子供の頃の平尾にとっては、歴史的な寺社仏閣も退屈な日常の風景に過ぎなかった。大きなビルをもっと建てて、どんどん栄えればいいのに、と思っていた。だから、小学3年生の夏休みに家族と旅行した東京の街並みには心を奪われた。特に圧倒されたのは、当時竣工したばかりの東京都庁舎だ。空に届かんばかりにそびえ立つビルなど、これまでに一度も見たことがない。こんなビルをつくりたい、という想いが芽生えた瞬間だった。

 大学進学では、迷うことなく建築を選んだ。同級生の大半は美術館など意匠性の高い建築物を志向したが、平尾は高層ビルへの想いが強かった。高層ビルやマンションなど世の中のさまざまなニーズ・実需に応えている建物こそ、世の中を支える主役だとも感じたのだ。中でも商業施設やオフィスが入る高層ビルを成立させるために大切なのは、建物だけでなく、大前提として世の中のさまざまなニーズに応えることだ。となると、設計建築サイドではなく、事業としてビルを開発する仕事のほうが自分らしい社会への関わり方ができ、そのインパクトも大きいのではないか。平尾の関心は、建築から不動産へと移っていく。

 就職活動をしていくうちに、不動産金融という仕事に出会った。当時はちょうど、不動産の証券化ビジネスが日本でも勢いを増していた時期にあたる。ビル開発を動かしているビジネスの商流を学べるのではないかと考え、外資系の投資銀行を就職先に選んだ。社内には、転職を繰り返してキャリアアップしていくという、外資系では当たり前の空気があり、平尾自身もその心づもりでいた。3年を修行期間とし、次の進路を探そう。

 リーマンショックによる対応も含め、担当案件に区切りを付けたタイミングで、平尾は転職活動を始めた。これまでのような数字中心の世界ではなく、エンドユーザーの顔が浮かぶ、リアルでカタチあるものに携われる仕事がしたい。ならば、大学時代にも考えていた、デベロッパーがいいだろう。洗練されたイメージを放ちつつも、ダイナミックな挑戦を続けている姿勢に惹かれ、平尾は三井不動産に転職した。

 三井不動産では、同じ部署に5年10年と在籍する社員はほとんどいない。街づくりに新鮮な発想をもたらすためのジョブローテーションが実施されているからだ。平尾も入社からの約12年間に、3つの部署を経験した。最初の配属は、ららぽーとや三井アウトレットパークの用地取得から開発までを担う、リージョナル事業部である。目の前に広がる広大な土地に、どんな商業施設をつくって、どんな価値を織り込んでいくか。入社前に思い描いていたとおりの「夢のような仕事」としか形容できない4年間だった。

 前半の2年間は、主に用地取得を担当した。競合に負けて悔しい思いも何度か味わったが、日本最大級の複合型施設として吹田市に誕生した〈EXPOCITY〉をはじめ、5つの案件に携わった。土地を所有する行政や企業に対して、開発後の絵姿を描き、収支をはじき出して提案書をつくる業務には、前職での経験も役立った。加えて、約40年前の開業以来いまも街に賑わいをもたらしている〈ららぽーとTOKYO-BAY〉、15年前に開業し街の開発を牽引してきた〈アーバンドック ららぽーと豊洲〉といった先達が築いてきた実績が、交渉相手に対する確かな説得力になってくれた。

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後半の2年間は、開発業務を担当した。まずは建物や駐車場、公園なども含めたエリア全体を設計会社とともにデザインし、ゼネコンの選定およびコスト調整も進めていく。ららぽーとのような大規模開発となると、街へのインパクトは非常に大きい。「住民の目にはどう映るのか?」という視点が重要になる。来店客による交通渋滞を防ぐための信号機設置や道路拡幅、バス会社への新たな路線づくりの依頼、広大な敷地の治水対策、買物客の利便性向上のための医療テナント誘致に向けた地元との調整など、施設そのもの以外への配慮が欠かせない。

 そうした数々の取り組みがどれだけ地域に受け入れられ、街にどんな価値を創出できたのか。開業後は開発担当から運営担当に業務が引き継がれるため、頻繁に施設を見に行くわけにはいかないが、いろんな形で情報は入ってくる。あるとき、大阪に暮らす友人が何気ない会話の中で言った。「最近できたEXPOCITYってのがめっちゃええ感じで、家族で毎週通ってんねん」。自分が担当したことは伝えていないから、素直な感想なのだろう。地域の人たちにプラスのインパクトを与えられたこと、そして生活に根付いていることを、平尾は嬉しく思った。 

 入社5年目、異動の辞令を受けた平尾は戸惑った。「えっ、人事部?」ドラマや小説などの影響もあって、どこか冷徹なイメージを抱いていたし、街づくりから離れてしまうと感じたからだ。しかしその思い込みはあっさり覆された。常に社員たちのことを考えている人事チームがいるからこそ気持ちよく働けていたこと、つまりは人事部も街づくりに欠かせない一員だということに気付かされたのだ。在籍中に携わった制度づくりの中でも、平尾がもっとも苦労したのは、社会的テーマでもあった働き方改革だった。時間も忘れて仕事に没頭している仲間たちに対して「皆さん早く帰宅しましょう」と促すのだから、当初は抵抗も少なくなかった。とはいえ、オフィスビル事業を手がける企業としての使命感もある。まずは自分たちから範を示していこう。そんな意識が徐々に醸成され、行動としても全社に広まっていった。

 入社9年目に人事部から異動して現在も所属しているのが、オフィスビルの開発を担うビルディング事業部である。三井不動産の本社移転先となった〈日本橋室町三井タワー〉のプロジェクトを初めとする様々な開発プロジェクトに携わりつつ、テナント企業に向けたソフトサービスの開発も担当している。ソフトとは、たとえば育児や介護を支援するセミナーやサービスなど、「オフィスは単なる場所ではなく、オフィスワーカーたちの生産性や心身の健康面まで含め『働く』に関わる全てをサポートする空間であるべき」という考えに基づいた取り組みを指す。平尾が中心となってスタートさせたのが、独自開発したアプリによって健康管理ができる「& Well」というサービスである。

このアプリを使って毎日の歩数を共有し、社内の部署や同じビルに入居する企業対抗で競い合うといったイベントも定期的に開催している。個人ではなかなか継続の難しい健康促進行動に、みんなで楽しみながら取り組める仕掛けだ。このイベントの参加者は5,000人、500チーム近くにものぼり、混戦、熱戦が毎回繰り広げられる。『励まし合えたから頑張れた』『楽しい企画をありがとう』といった声も続々届く。1位のチームの1日の平均歩数が25,000に及んだ時には、平尾たち一同も沸きたった。テレワークが増え従業員同士の接点が減る環境下にあっても、個人の健康意識の向上や、同じビル、同じオフィスで働く仲間との連帯感を強化させる一助になっているのではないかと、平尾は手応えを感じている。

 こうした健康促進も含め、入居企業の働き方改革をさらに支援していくことが、ビル事業における大きなテーマだ。オフィスで働く人の志向や立場が多様なだけに、求められる範囲は広い。だからこそ、転職以来それぞれの部署で得てきた経験は、何一つ無駄になることなく、次なる一手に結びついていくと平尾は実感している。プライベートの経験も例外ではない。健康管理サービスを始めてからというもの、最新のフィットネスの会員になり、地元のマラソン大会にも参戦し、何でも自分で経験してみた。その経験をもとに健康という視点で街を考え、そんな時間に出会った人たちの想いを知ることからも、世の中のニーズを知り、未来を切り拓く第一歩は始まるのだ。

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 ららぽーとの開発担当をしていた頃、近隣住民に対しての説明会を開く機会があった。万全の準備をして臨んだものの、1回目の説明会では厳しい意見が飛び交った。2回目の説明会でも冒頭に一部の住民からの強い反対意見が出され、集まった住民たちの表情は堅いままだ。デベロッパーのプロとして、近隣の生活に大きな影響が出ないようしっかりとした対策は施してきたつもりだ。一方、ここでずっと暮らしてきた方の心情を思えば、変化に対する不安が生じてしまうことも理解できる。議論はまたもや平行線を辿りかけていた。説明会が中盤に差し掛かったとき、進行役を務める平尾に向かって挙手した人がいた。 「あの、ちょっと、発言してもいいですか?」
 30代くらいの男性だった。穏やかな表情で周りの住民たちを見渡しながら、こう続けた。
「私は、この町にららぽーとが完成するのを楽しみにしています。確かにこれまでの環境とは変わりますが、三井不動産もいろんな対応策を行うと言っています。ですからここに、子供たちと育っていく街ができる。そんな未来に目を向けてみてはいかがでしょう?」
 賛同の拍手で包まれ、会場の空気が一変する。ららぽーとで初めてとなる保育園の誘致をはじめとして、遊具や公園など子供が楽しめる企画がいくつも盛り込まれた案件だった。この一言を受け、平尾はふと気付いた。
 子供の頃に都庁を見上げたときも、建築から不動産へと転向したときも、オレはそこに未来を感じていたんだ――。
 目を輝かせた住民たちの表情に手応えを感じながら、平尾はマイクを握り直した。