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スポーツ・エンターテインメントの力を、街づくりの力へ。


01. LaLa arena TOKYO-BAY

アリーナからあふれる感動を、
しい価値へ。

PROJECT PROFILE

LaLa arena TOKYO-BAY
(ららアリーナ 東京ベイ)

音楽ライブ、スポーツイベント、展示会などのさまざまなイベントに対応可能な収容人数1万人規模の大型多目的アリーナ。B.LEAGUE「千葉ジェッツ」のホームアリーナでもある。2024年4月の本物件の竣工と同時期に三井不動産の「商業施設本部」は「商業施設・スポーツ・エンターテインメント本部」に改称され、新たな事業領域での価値創出を象徴するアセットとなった。

※掲載されている部署名はプロジェクト担当時のものです。

INTERVIEW 01

本気だけが、仕事面白くする。

企画

2001年入社
商業施設・スポーツ・エンターテインメント本部
リージョナル事業部 事業企画グループ
/同 事業推進グループ
/株式会社TOKYO-BAYアリーナマネジメント

想いが引き寄せたプロジェクト。

サッカーの大一番。好きなアーティストのライブ——石川は年に何度か、そういう場に足を運んできた。だからこそ肌で知っている。同じ空間を共有する人たちの熱気、興奮、感動、そして帰り道まで続く高揚感。そして、こつこつとチケット代を貯め、その日を指折り数えて待つ気持ちも。スポーツやエンターテインメントに感情を揺さぶられることを、人間は根源的に求め、支えられている。そんな実感があった。

ハードだけに頼った不動産ビジネスは、いずれ限界を迎える。「モノ消費からコト消費へ」「時間消費型へ」。そんなフレーズが謳われるようになってしばらく経つ。三井不動産もまた、ソフトを、つまりはハードを埋めるコンテンツを、強く支えていくような領域に挑むべきではないか。ビジネスというだけではなく、人々の暮らしへの貢献にかける想いを、三井不動産らしく貫くためにも。

石川がこっそり思い描いていたのは、商業施設の隣に構えるライブハウスやアリーナだった。「引き寄せの法則」とでも言うべきか。その強い想いに、追い風が吹いた。政府が掲げた「2025年までにスポーツビジネスの規模を15兆円に拡大する」という方針。さらに、B.LEAGUEがチームに課したホームアリーナ要件。話はやがて、1万人を収容する大型多目的アリーナへと膨らんだ。年間30試合ほどのバスケットボールの試合に加え、さまざまなライブやイベントを開催できるアリーナ。それを、船橋にある「ららぽーとTOKYO-BAY」の隣に開業させる。共同事業者は、「株式会社千葉ジェッツふなばし」の親会社である株式会社MIXI(以下MIXI社)。石川の思い描いていた「妄想」は、前代未聞のプロジェクトとして動き出そうとしていた。

妥協とは、自分への裏切り。

三井不動産にアリーナ事業の前例はない。そこでまず石川が始めたのは、ひたすら「聞くこと」。さまざまなライブのプロたちに教えを乞い、構想や図面を見せてその問題点を指摘してもらう。覚悟はしていたものの、待っていたのは容赦ないダメ出しの嵐だった。抱えきれないほどの宿題を持ち帰り手直しする毎日…石川は千本ノックさながら、プロたちのもとへ出向きひるまずに向き合い続けた。その合間には、実際にライブを訪れ、SNSでさまざまなアーティストのライブ動画を見漁った。ライブ会場について語るアーティストからも設計のヒントを見出すためだ。起きている間、気付けばアリーナのことを考えている自分がいる。そんな厳しくも楽しい日々が続いた。

ある日、アーティストの言葉を書き留めていた石川の手が止まった。「自分で自分を裏切らない」——そんな一言が耳に飛び込んできたのだ。短い言葉だったが、石川が大切にしてきたすべてがその中にあった。
「妥協すれば、仕事は腐る」。デベロッパーの仕事は、特にそうだ。つくったものは街として残る。人々の暮らしとともにその場所にあり続ける。そこに妥協などあっていいはずがない。いくら壁が高かったとしても、背を向けて「まあ、こんなものだろう」などと自分に言い聞かせたら、それこそが自分への裏切りだ。

石川は改めて腹をくくった。このプロジェクトを、なんとしても最高の形で着地させたい。嫌われ役でも構わない。成功の為に妥協は絶対しないと。
共同事業者や施工会社とも議論を厭わなかった。本音で向き合う。時にはぶつかる。徐々に関係者の中にも良いものをつくろうとベクトルが揃う仲間ができた。会社の看板、発注者と受注者、先輩と後輩なんて関係ない。お互いを隔てるそんな線引きは、いつの間にか消えた。デベロッパーは設計も施工もできない。現場で実際に手を動かしている施工会社や職人の方々がいなければプロジェクトは完成しない。だからこそ、仲間が魂を込めて仕事に打ち込んでいることに、石川は感謝しかなかった。

わが子を見守るように。

竣工を間近に控えたある日。石川は後輩からこんな言葉をかけられた。「仕事って、本気でやると面白いですね」。思わず胸を突かれた。
時には、大胆な決断を迫られることもあった。基本設計の期間中に、それまでの設計図をほぼ白紙に戻したのもその一つだ。予定されている建物形状では、いいアリーナにならない——とりわけ、ファンのために準備や設営に心血を注ぐスタッフにとって、使いやすいものにならない。まさに、一切の妥協を捨ててたどりついた答えだった。

建設が進み、アリーナがその姿を現し始めた時。見学者を案内していた石川はふと、涙がこぼれそうになった。このアリーナに、わが子と言えそうなほど深い愛着をアリーナに抱いていたことに、改めて気づかされた。「仕事って、本気でやると面白いですね」。後輩の言葉は、石川の気持ちを完璧に代弁していた。

石川は時々、わが子である「LaLa arena TOKYO-BAY」に会いにくる。イベントの何時間も前から並び、思いきり楽しみ、笑顔で帰っていくお客さんを見ると、「つくってよかった」と心から思う。難題の連続を乗り越えられたのは、この光景を思い描けたから——自分のエゴを満たすためではなく、誰かのために、世の中のためにやるのだという本気の想いが、その原動力になっていた。

INTERVIEW 02

挑戦は、完成しない。

事業

2018年入社
商業施設・スポーツ・エンターテインメント本部
リージョナル事業部 兼 運営一部 兼 株式会社TOKYO-BAYアリーナマネジメント
/スポーツ・エンターテインメント事業部 兼 株式会社TOKYO-BAYアリーナマネジメント

違いと重圧すらも楽しむ。

「何事もギブ&テイクですよ」。ある関係者からかけられた言葉を、豊留ははっきり覚えている。アリーナという未知の領域を手がけるにあたって、有識者の意見を仰ぎに行った時のことだ。

その意味を、豊留はこんなふうに想像した。三井不動産の長い歴史が培ってきた信頼関係から「三井不動産なら」と話を聞いてくれる人も多い。けれど、スポーツ・エンターテインメントの領域において、三井不動産は新参者。業界との信頼関係もまだない。「それでも惜しみなくアドバイスしているのだから、ぜひがんばってこの業界のために応えてほしい」——そう言われているのだろう、と。 もちろん、がんばる気は満ち満ちていた。一方で、わからないことが溢れていた。三井不動産にとっても豊留にとっても、プロジェクトのほとんどすべてが初挑戦だったからだ。

豊留がこのプロジェクトに参加したのは、アリーナ着工の半年前。初仕事は新会社の発足だった。アリーナ事業に関連する2つの事業会社を、共同事業者であるMIXI社とともに組成するのだ。着工日が決まっている以上、発足は1日も遅らせることができない。しびれるようなプレッシャーの中で、豊留は目の前に積み上がった仕事と格闘した。新会社の規定、資金繰り計画、株主間の協定……決めるべきことが無数にある。それをMIXI社と共同で進めるにあたって、まず乗り越えなければならないのは「文化の違い」だった。三井不動産での常識が、MIXI社の常識とは限らない。細かなところまですり合わせながら進めなければ、思いもよらないギャップに足をすくわれかねない。

ただ、豊留自身はこのシチュエーションを思いのほか楽しんでいた。会社をつくる経験など、めったにできるものではない。企業文化の違いは、自分の視野を広げてくれるまたとない機会をくれる。挑戦の多い三井不動産だからこそ味わえる新しさだ。

「もう、後戻りはできない」

音も、ライブにとって重要な要素の一つだ。一方で、アリーナのような大規模空間で音環境を整えるのは難易度が高い。山びこのような反響が起きやすいからだ。
だからこそ、音についてはとりわけ慎重に進めていたはずだった。ところが、竣工を半年後に控えたころ、アリーナの図面と材質を見た音響の専門家は眉をひそめた。「このままでは、クリアな音にならないかもしれません。」豊留たちは青ざめた。工事はすでに図面のとおりに進んでいる。今から変更するとなれば大ごとだが、ほかに選択肢はなかった。改めて入念なシミュレーションを実施したうえで追加工事を敢行し、現地での検証も行った。現場の協力もあって、最終的には専門家もうなずくクオリティを実現することができた。

もう一つ、豊留が心を砕いたのが「サイン計画」。観客を誘導するためのサインを、どこにどう設置していくかという計画だ。チケットに記載されている情報だけで、自分の席まで迷わずたどりつけること。1万人規模のアリーナでは、それがきわめて重要になる。迷う人が続出すれば、開演時間にも容易に影響してしまうからだ。その大切なサイン計画を、豊留はメインの担当者として受け持った。プレイガイドにチケットの座席位置がどう記載されるのかを確認する。そこからサインがどうあるべきかを考え、色や大きさ、材質、位置を決めていく。もちろん、サイン計画のプロからアドバイスをもらい、イベント運営のプロからの意見も聞く。また、実体験も役に立った。このプロジェクトに参加してから、豊留は年に20~30回ほど、あちこちの試合やライブに足を運ぶようになっていた。先人の知恵を借りながらも、自分の目で見て、耳で聞いて、手で触れた感覚を大切にする。それも豊留のこだわりだった。

豊留たちの奮闘とともに、アリーナは竣工に近づいていった。更地だった場所に、巨大な建築物が出現する。そのことに感慨を覚えながら、豊留はこうも思っていた。「もう、後戻りはできないんだな。」楽しみながらプロジェクトを進めてきた豊留でも、いよいよとなるとやはり不安は募った。

三井不動産からの「ギブ」を探して。

2024年4月17日、「LaLa arena TOKYO-BAY」竣工。お披露目イベントを経て、7月には有名アーティストによる2DAYSのこけら落とし公演が行われた。
音響は明瞭で、好評をもって受け入れられた。豊留がこだわり抜いたサインも、混乱のない動線づくりに大きく貢献した。ホッと胸を撫で下ろしながら、豊留はなんとなく現実味を感じられずにいた。アリーナは本当に完成したのだろうか——試合やライブをその目で見ているのに、そんな感覚になることもある。

それはもしかしたら、「三井不動産は、スポーツ・エンターテインメントの世界にどんな好影響をもたらせるのか」という問いに、豊留がまだ答えを出せていないことと関係しているのかもしれない。スポーツ・エンターテインメントを生み出す主役は、選手や演者とその関係者、そして来場者だと豊留は考える。では、アリーナという場を提供する三井不動産に、できることとはなんだろう。音楽関係者からかけられた、あの言葉——「何事もギブ&テイクですよ」。三井不動産からスポーツ・エンターテインメントへの「ギブ」とは何か。「この会社ならその答えを見つけられる。」豊留はそう確信している。

INTERVIEW 03

すべての方向に、びを。

運営

2014年キャリア入社
商業施設・スポーツ・エンターテインメント本部
リージョナル事業部 兼 運営一部 兼 株式会社TOKYO-BAYアリーナマネジメント
/スポーツ・エンターテインメント事業部 兼 株式会社TOKYO-BAYアリーナマネジメント

想いというバトンを手に。

吉竹が運営担当としてプロジェクトに合流したのは、開発フェーズが残り半年に差しかかったタイミング。いわば、石川や豊留からバトンを受け継ぐ役目だ。
もともとこのプロジェクトには興味をひかれていた。また、石川たちを始め、たくさんの人々の想いと工夫が込められたアリーナであることも承知していた。その価値をお客様に確実に届けるとともに、運営におけるホスピタリティや、商業施設を含めた街全体としての付加価値もしっかりと提供していきたい。その使命感で、身が引き締まる思いだった。

世の中にあまたあるアリーナやスタジアムとの決定的な違いを生むために、吉竹が強く意識していたことがある。アーティストやスポーツ選手などの演者、来場者であるファン、イベントの主催者、そして事業者であるMIXI社・三井不動産。この4方すべてが喜べるように取り組むこと。まずは、プロジェクト関係者がこだわり抜いてつくってきたアリーナで、主催者の要望・相談に真摯に向き合い、最高の「スポーツ・エンターテインメント」を提供していくことを意識して取り組んだ。さらには、街全体で付加価値の在り方も考える。

その一例が、隣接する「ららぽーとTOKYO-BAY」に設置したメッセージボードだ。アリーナでライブを行うアーティストへのメッセージを、ファンが自由に書き込むことができる。ライブのグッズ販売は、早ければ午前中に始まる。「ららぽーとTOKYO-BAY」では館内BGMをそのアーティストの楽曲にしたり、デジタルサイネージで映像を流したりしている。さらにメッセージボードも設置し、開演までの空き時間にも、アーティストとのつながりを楽しんでほしいという意図だった。

スポンジのように吸い込む。

ところが、メッセージボードには懸念の声も上がった。何かトラブルがあれば、三井不動産だけではなくアーティストや主催者の評判まで貶めるのではないか。そもそも、いちばん得をするのは「ららぽーとTOKYO-BAY」への来館者が増える三井不動産ではないか——そんな、意図とは真逆の声さえ寄せられた。こんな時、吉竹は「スポンジ」になる。自分より知見の深い人。価値観の違う人。そんな声を吸収し、自分の中に貯め込んだうえで、もっともいい形を模索するのだ。

吉竹を中心に議論と調整を重ねた結果、メッセージボードは無事に設置された。ファンたちのカラフルなメッセージで埋め尽くされたそれは、ライブ初日を終えたアーティスト本人のもとへ運び込まれた。吉竹のアイデアだ。喜んだアーティストは、誰に頼まれたわけでもないのにSNSで取り上げたばかりか、「翌日の分も見せてほしい」と言ってくれた。

主催者にもメリットがある。このメッセージボードをはじめ、BGM、新曲の映像放映、フードコートジャック、グッズを活かしたアパレルコーディネート展示など、イベントに沿った様々な施策が行われた。その影響で「ららぽーとTOKYO-BAY」へ向かうファンが増え、駅とアリーナの間の動線が分散し、混雑を緩和することができている。また、イベント前途の時間も楽しめることでライブを楽しみに来てくれたファンの満足度も上がっている。まさに、アーティスト、ファン、イベントの主催者、事業者の4方に喜びをもたらせたのだ。

最高のアリーナを、
さらに進化するアリーナへ。

もともと、吉竹は音楽の大ファンではなかった。だからこそ、一つのライブの裏側で起こっていることに圧倒された。特に、運営側の経験値がバラバラで、足並みも揃いづらい初期は苦労の連続だった。開催直前の2週間は、1時間ごとに新しい課題が持ち上がる。最後の1週間は、関係者のほぼ全員が泊まり込んで準備に明け暮れる。だからこそ、ライブ当日に広がる光景には心を動かされた。アーティストの全力。ファンの涙。運営は本来、プロフェッショナルとして運営に徹する一心で、ライブを楽しもうという感覚は持たないし、情を入れることもない。けれど、今回は違った。込み上げるものがあった。そして、トラブルなくライブが終わった後、主催者からかけられる「また一緒にやりましょう」の言葉。「主催者に喜んでもらうことこそが、最大の営業活動」だと考える吉竹にとって、これほど達成感を覚える言葉はなかった。

「LaLa arena TOKYO-BAY」は、先輩や同僚、後輩たちがつくりあげた、最高のアリーナだ。イベントが成功するたびに、吉竹はその想いを強くする。そのアリーナをこれからどう運営し、どんな価値提供を実現していくか。それが吉竹にとっての最重要テーマである。「街全体で、そして、イベントの主催者やアーティスト、スポーツ選手、ファンとともに、進化し続けるアリーナ」——そんな将来像を、吉竹は追いかけ続けている。

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