PROJECT
STORIES
NYに新しいビジネスの中心地を
05. 55ハドソンヤード
マンハッタンに、
新しいビジネスの中心地を。
PROJECT PROFILE
55ハドソンヤード
ニューヨーク・マンハッタンにおける過去最大の複合開発である「ハドソンヤード」。5棟のオフィスビル、商業施設、高層分譲および賃貸住宅、高級ホテル、文化施設、学校などが整備予定のミクストユース型の再開発であり、三井不動産は、オフィスビル群の一棟「55ハドソンヤード」に続き、「50ハドソンヤード」2022年に竣工。いずれも三井不動産のグローバルポートフォリオにおける旗艦物件と位置付けられている。後者は、マンハッタンにおける単体オフィスビルとして最大級の規模であり、Meta(旧会社名Facebook,Inc.)の米国東海岸最大拠点も入居。
※掲載されている部署名はプロジェクト担当時のものです。
INTERVIEW 01
衝突の先にあった「一心同体」。
事業
塩田 達也
2004年入社
三井不動産アメリカ(株)(ニューヨーク)
こだわりが生んだ、つまずき。
ニューヨークでは2000年以降、都市機能の高度化と、良好な住環境保全を目的としたゾーニング(都市計画)の変更が行われてきた。その中でも、過去最大規模の再開発が進められているのが「ハドソンヤード特別地区」。目的は、ミッドタウン、ダウンタウンに次ぐ新たな業務商業地区を形成すること。新たな開発の余地が少ないマンハッタンでは、かなり希少性の高い案件だ。
三井不動産が開発に参画した「55ハドソンヤード」(以下、55HY)は、ハドソンヤードを構成するオフィスビル群のうちの一棟。地上51階建、延床面積約11万8000㎡という規模だ。塩田が手がけたのは、内装デザインを含む設計・施工の進行。日本橋の再開発に6年間携わった経験をもとに、「温かみ」「ホスピタリティ」を感じさせるデザインで「三井不動産イズム」を体現しようと意気込んでいた。ところがそのこだわりが、共同事業者との衝突を生むことになる。
融合が生んだ「唯一無二」。
「55HY」は、米国有数のデベロッパーである「リレイテッド社」(以下、リレイテッド)との共同事業だ。そのリレイテッドと、ロビーの内装デザインについての合意を形成することが塩田のミッションのひとつ。だが、塩田の示した「温かみ」「ホスピタリティ」といったコンセプトに、リレイテッドは反発した。リレイテッド側には、むしろ真逆ともいえる「シンプルさ」「シャープさ」を強く打ち出した、いわば「ニューヨークイズム」へのこだわりがあった。その隔たりはあまりにも大きい。
価値観がまるで異なる中で、いかに理解し合うか。塩田はまず社内のナショナルスタッフへ、それからリレイテッド側へ、事業に対する強い想いや貫きたい信念を、丁寧に、粘り強く伝えた。お互いにただ自己主張を繰り返すのではなく、日米の良さを深化・融合させて、究極のデザインへと着地すること。それが塩田の理想だった。必死の願いが通じたのだろう。やがて、両者は少しずつ歩み寄り始めた。内装デザインは、それぞれのコンセプトを最高の形で重ね合わせたものになった。ニューヨークの古き良き建物のデザインをベースに、それまであまり見られなかった「温かみのある木材」や「自然を生かした石材」などを取り入れ、斬新さとホスピタリティが融合した唯一無二のロビー空間へと結実したのだ。
情熱は万国共通。
モノづくりへの想いやこだわりが、非常に強いゆえの衝突。それは、デベロッパーとしてのあくなき追求心の表れでもある。「三井不動産と仕事ができてよかった」。プロジェクト完了後にリレイテッドが発したその言葉は、根本的な情熱が万国共通であることの証。だからこそ、最後には一心同体となってプロジェクトに向き合えたのだと塩田は思う。
言葉も文化も違う異国の地で、お互いの関係性を深め、大きな成功を導けたことは、苦労を吹き飛ばすほどの達成感を塩田にもたらした。塩田は「55HY」に加えて、2017年に新たに参画を表明した58階建て複合ビル「50ハドソンヤード」(以下、50HY)の開発プロジェクトも担当。その規模は「55HY」以上。日本の不動産会社が手がける海外開発案件としては過去最大という歴史的プロジェクトだ。これまでに蓄積した知見をフル活用して、塩田は立ち向かう。変わることのない「三井不動産イズム」を胸に。
INTERVIEW 02
新しい街への期待を、
テナントにとっての魅力に変える。
営業
山縣 有孝
2006年入社
三井不動産アメリカ(株)(ニューヨーク)
未来をどこまでイメージできるか。
山縣が米国を訪れたのは2015年4月。海外トレーニー制度による渡米だった。研修終了後、三井不動産アメリカ(株)(ニューヨーク)に出向することとなり、着工直前だった「55HY」のテナントリーシングを担当。ミッションは、オフィスを中心に構成される「55HY」のテナントを誘致すること。日本では、リーシングをデベロッパーが自ら行うことも多い。だが米国では、ブローカー(仲介会社)が間に入ることが慣習となっている。まずブローカーが候補となりうるテナントにコンタクトを取り、好感触を得た段階で、山縣たちが具体的なプレゼンテーションを実施。賃料や期間などの条件交渉を経て、晴れて契約となる。
いまでこそ街づくりがかなり進んだハドソンヤードだが、リーシングがスタートした当時は、「街」としての姿を想像するのはまだ難しかった。リーシング成功のカギは、ハドソンヤードがやがて素晴らしい街になることを、どこまで具体的にテナント候補にイメージしてもらえるかにあった。
有名弁護士事務所へのプレゼンテーション。
実際にリーシングのフロントに立つのは、共同事業者であるリレイテッドのチームだった。山縣は連携強化のため、マネジメントという立場でリレイテッドへ出向。プロジェクトに対する意識の確認や、営業戦略面での擦り合わせを重ねて信頼関係が強まったころ、大きな動きがあった。とある大手弁護士事務所へのプレゼンテーションが実現したのだ。その知名度の高さから、入居が決まればマーケットへのインパクトは大きい。今後の誘致活動にも弾みがつく。プレゼンテーションに臨んだ山縣たちは、「ハドソンヤード」がやがて、マンハッタンのオフィス街の中心地となっていく可能性を力説。新しい街が生まれることへの期待を、明確なイメージとともに伝えた。それからも何度となく交渉を重ね、見事に契約へと至った。
その過程で山縣が実感したのは、米国に根強い「オフィス環境が魅力的であることが、優秀な人材確保や企業価値向上につながる」という考え方。オフィスの移転は投資のひとつだと考えられている。そんな視点からテナントへアプローチすることは、山縣にとっても非常に刺激的だった。
協働がもたらした成長。
「55HY」は弁護士事務所やファンド系金融会社など、オフィスフロアの約9割が入居決定した状態で、2018年10月に竣工。加えて、「50HY」のテナント誘致活動も進んでおり、フェイスブックの米国東海岸最大拠点が入居することも2019年11月に決定した。フェイスブックとの契約面積は約100,000m2超であり、既に契約済みの世界最大の資産運用会社であるブラックロックの賃貸借面積と合計すると全体面積の約75%が契約締結済みである。この勢いに乗り、日本で約6年間、テナント誘致活動に携わった山縣としては、ぜひ日系企業の入居を促したいとも考えている。
日本での誘致活動は、山縣自身がテナントにアプローチするものだった。だが米国では、リレイテッド社員の行動力やモチベーションの高さが成果に直結する。だからこそ、彼らと密にコミュニケーションをとり、良好なリレーションシップを構築することが不可欠となる。リレイテッド社員との協働は、山縣にとっても得るものが大きかった。ミッションに対するコミットメントの強さ。気迫。とことん突き詰める仕事へのスタンス。彼らの高いプロフェッショナル意識は、自分自身の成長をも促したと山縣は考えている。国境を超えてつかんだ成長を武器にして、やがては欧米を舞台に、日本流の、三井不動産の経験・ノウハウを活かした街づくりをしたい。山縣の眼差しは、すでにマンハッタンの先までも見据えている。