Takashi Watanabe

道なき場所で、
道を拓く。

渡辺 崇史

海外事業本部
海外事業二部 業務グループ
前職:自動車メーカー

MY PROFILE

前職の自動車メーカーを経て、2020年に入社。日本橋街づくり推進部にて日本橋再生計画の推進(産業創造:街づくりを通じた産業支援)、宇宙ビジネス拠点の新規開設、企画運営、一般社団法人クロスユーの立ち上げを担う。2024年、宇宙ビジネス・イノベーション推進部の新設に伴い異動。宇宙事業領域の探索・事業機会獲得、宇宙ビジネス拠点の企画運営、一般社団法人クロスユーの企画運営に従事。2025年より海外事業本部 海外事業二部。東アジアとオーストラリア担当として、オフィス、商業施設、ホテル、物流などの事業機会獲得ならびに事業推進を行っている。

社会貢献に、
もう少しだけ手触りを。

渡辺さんは前職が自動車会社なんですね。当時はどんな仕事を?

前職にいた8年間は、国内外から自動車部品や金属材料を調達する仕事をしていました。調達というと「いかに安く仕入れてくるか」という仕事に見られがちですが、実は全然違って。大事なのは「利害関係がある中で、どうすればサプライヤーさんと信頼関係を築けるか」。私は今、海外事業本部にて東アジアとオーストラリア地域の担当をしていますが、海外事業も共同事業者である海外の現地デベロッパーと信頼関係を築けないことには前に進まない仕事です。ステークホルダーとの関係構築が本質であるという意味では、やっていることは今も昔も同じだなと思います。

確かにそうかもしれません。ちなみに海外事業本部への配属は、もともと希望していたんですか?

そうですね、グローバルに働きたいという希望は転職した当時から持っていました。私の場合、学生時代から海外志向が強く、実は新卒の時はデベロッパーにドメスティックなイメージを持っていたため一社も受けなかったんです。ただ8年経つ中で三井不動産という会社自体のグローバル化が飛躍的に進み、「グローバルカンパニーへの進化」が長期経営方針の柱の一つとして位置付けられるようにもなっていました。「今なら三井不動産で海外事業に取り組むチャンスがある」、そう確信できたことが転職の後押しになり、また私が入社することでグローバル化の加速に貢献していきたいとも思いました。

転職に関するもう少しリアルなきっかけをお話ししますと、私は当時30手前くらいで、ちょうど結婚して「子どもも欲しいね」と話していたところだったんです。そこで少し価値観が変化したと言いましょうか、それまでは日本を代表する自動車会社の社員として「日本のGDPや雇用に貢献している」といった、マクロ影響が大きい仕事に誇りを持って働いていました。それが結婚を機に、マクロな影響はしっかりありながら、もう少し手触り感のある社会貢献を志すようになりました。例えば、「家族が暮らしていく街を豊かにすること」とか。

だから、デベロッパーに。

はい。例えば近所にお気に入りのお店ができると、それだけで生活がずっと豊かになると思うんです。あくまで一例ですが、そういう経済指標に表れてこない、手触り感のある豊かな生活基盤を、家族に残していきたいという想いが強くなりました。志望度が高まっていたところに、実際に三井不動産で働いている大学時代からの友人二人から「三井不動産、めちゃくちゃいい会社だよ」とお勧めされたのも大きかったです。こいつらが言うなら間違いないだろうなと。そういったご縁が重なりました。

自分で考え行動して、
成果が出るから感動する

前職に至るまでの経歴をお聞かせください。

生まれ育ちは山形県山形市です。当時のことで一番記憶に残っているのは、高校で所属した弓道部でしょうか。弓道は高校から始める人が多いスポーツなので、頑張れば勝ち上がるチャンスがある点に魅力を感じて入部しました。実際、私含めてほぼみんな初心者スタートでした。ただ、技術指導のできる顧問が不在で、練習の組み立てから団体戦の戦略まで、生徒間で相談し進めているような状況で。要は自立性を強く求められる環境だったんです。

おんぼろの練習場で、雪国なので冬なんか寒くて仕方なかったですけど、土日も毎日練習しました。練習量だけは県内高校で1番だった自信があります。その結果、高校2年生の時に県の高校総体で団体優勝し、十数年ぶりのインターハイ出場を決めることができたんです。さらに翌年は団体・個人共に優勝することができました。特に団体で勝てたことに、私、お恥ずかしながらめちゃくちゃ感動してしまいまして。自分たちで考えて行動して成果を出せた原体験として非常に強く残っています。仕事も同じですが、感動の大きさって努力した量に比例するんですよね。

すごいです。しかし、「勝ちたい」と思ったら、ちゃんと技術指導のできる顧問のいる部活を選ぶとか、指導者を連れてくるという手もあると思うのですが、そうはしなかったんですね。

うーん、当時はそんな選択肢があるとも気付いていなかったです(笑)。先輩たちが同じように試行錯誤していたのを見てきましたし、そういうもんだと思っていたんですよね。

「教わるものではない」「自分で掴むものだ」みたいな。そういう姿勢が10代で身についていたら強いだろうなと思います。その後、大学は東京に?

はい、大学は東京に出て、文字通り世界が大きく広がりました。ずっと東京にいる人には気付きにくいことかもしれませんが、山形のような田舎から東京に出てくると、ものすごく世界が身近に感じるんです。交流プログラムもたくさんあるし、街を歩けば外国の方がたくさんいるし。私も俄然海外に興味が湧いて、短期留学、交換留学など、さまざまなプログラムに参加しました。特に中国に興味を持ち、3年生の時には北京に1年間留学しました。

当時の中国は今以上に勢いがあって、GDPも年率10%といった水準で成長していて。「世界の工場」から「世界の市場」へ、と言われていた時代ですね。街を見ても、常にどこかで工事をしていて新しい建物が建っていましたし、何よりも違ったのが人の心。「明日のほうが便利で豊かな生活を享受できる」とみんなが信じていたように思います。老若男女、みんな。

日本って、久しくそんな空気ないですよね。

はい、その対比が当時大学生だった私にとってはとても寂しく、悔しかったことを覚えています。もちろん様々な国に旅行をすると、日本の豊かさを実感する機会はたくさんありました。ただ、今の日本の豊かさが孫の代まで持続するとは到底思えなかった。自分に何ができるだろう?と考えた時、日本の産業を支えていると言っても過言ではない自動車会社に入って貢献したいと。安直ですが、それが新卒で前職を選んだ理由です。8年間、国内外でやりがいのある仕事に数々取り組ませていただきました。

子や孫の代までの豊かさに想いを馳せるという意味では、デベロッパーの都市開発に繋がる価値観は当時からあったようにも思えます。時間軸が長いですよね。

そうかもしれません。ただ転職にあたり、都市開発をする会社ならどこでもいいわけではありませんでした。当社の強みとしてミクストユース開発があると思いますが、これは日本の狭い国土に最適化された、優れた街づくり手法と思っています。海外の様々な国を訪れて、素晴らしい都市をいくつも見てきましたが、東京をはじめとした日本の都市は非常に魅力的。その魅力を生み出す一翼を担っていると自信を持って言える会社であることは、やはり強力な入社動機になりました。

「三井不動産さん、
月にホテルでも建てるんですか?」

三井不動産での印象に残る仕事について教えてください。

転職直後の2020年から約5年携わった、日本橋の宇宙ビジネス構想の推進です。私が入社した時には「日本橋に、将来有望な宇宙産業のエコシステムをつくることを通じて、中長期的に街の価値、ひいては日本の産業競争力を高めていくこと」までは上位方針として決まっていました。ただ具体的にどうやってその構想を実現していくかはこれからという段階。結果として5年の中で、宇宙ビジネス拠点の新規開設やプレイヤーの誘致、ビジネスコミュニティ機能を担う一般社団法人(クロスユー)の立ち上げなどさまざまな仕事に取り組みました。

産業デベロッパーとしてソフト・ハードともに開発する事業ですね。ただ失礼ながら、「三井不動産と宇宙にどんな関係が?」と思う人も少なくなさそうです。

まさに、そこは苦労したところです。当社のやろうとしていることって、“宇宙関連企業・団体”と、“宇宙ビジネスに関心を持つ非宇宙領域の企業・団体”をうまく繋ぐことで、「宇宙」を触媒として、新しいビジネスやイノベーションを日本橋から起こしていくことなんです。が、「なぜ宇宙ビジネスの、ある種旗振り役を当社がするのか?」という点をご理解いただくのが大変難しかった。何十年も宇宙産業に関わってきて、ロケットや衛星をつくられているような企業からすれば、「不動産屋さんに何ができるんですか」って思いますよね。「月にホテルでもつくるんですか?」と言われたこともありました。

打開の仕方に奇策があったわけではありません。設立直後、実績も何もない中で参画いただける企業・団体の獲得に苦労していた時のことはすごくよく覚えています。一社一社、日本橋での宇宙ビジネス振興の取り組みや、当社のつくる一般社団法人に参画するとどんな共創の可能性があるかをお伝えし、JAXAさんには100頁もある提案書をご用意しました。長く宇宙産業に関わっておられる会社であるほど、ご説明に伺った時の手応えは全くなし。よく帰りの車内で上司やチームメンバーと、「難しいかもね」とうなだれていました。

しかしそれから徐々にではありますが、参画いただける企業・団体が増え、「国の重要な政策に対して提言していくような動きをここから生み出していってほしい」と、高いご期待もいただくようになりました。50社を超えたあたりからは既存会員企業、団体からの口コミで広がるようになり、こちらからお伺いせずとも、「いい取り組みをされていると聞いたので」とお申し込みいただける状況になりました。設立からおよそ3年で会員数は300社超。国内では最大規模、世界でも有数の宇宙ビジネス団体となっており、欧州宇宙機関をはじめ世界各国の宇宙機関や団体との連携も加速しています。既に会員企業同士の出会いから新しいビジネスが生まれ、設立前は想像し得なかったダイナミックな動きも出てきています。

0から力強い1が生まれたんですね。それにしても渡辺さんは、なぜそこまでこの宇宙ビジネス事業に情熱を持てたのでしょうか。

宇宙産業で出会う人たちがみんな魅力的だったんです。ものすごく優秀で、熱量が高くて。リスクの高い世界であるにも関わらず、そこに飛び込んで、時間を忘れて夢中で働いている。「未来は自分たちが切り拓く」と信じて行動している光景には何度も胸が熱くなりました。そんな人たちと働けるのはとても楽しかったですし、「宇宙産業を日本の次の基幹産業にしていくんだ」という強い想いを持って働かれている皆さんを裏切りたくないというのが、私の原動力でしたね。

門外漢であることが、強みにもなる

宇宙ビジネスは三井不動産の中で誰も手がけたことがない、未知の領域だったかと思います。立ち上げてみて、初めてわかったことはありますか?

まずは「当社が宇宙について門外漢であったことが、逆に強みになっている」ということです。企業の側からすると私たちは競合ではなく、ニュートラルな存在なので、その点安心してニーズをご共有いただくことができたのです。いただいたニーズを元に、設立した一般社団法人を通じて必要な情報提供や、企業同士のマッチングを進めていきました。よく弊社の社長が「おせっかいな大家」という言葉を使うのですが、まさにそんなイメージです。場所を用意するだけでなく、一歩二歩踏み込んで世話を焼くからこそ、共創に繋がる出会いが生み出せるのです。

それから想像以上に「これから宇宙産業に参入しようとしている大企業が多いこと」、そして「彼らは宇宙プレイヤーとの出会い」を求めていることもわかりました。当社も最初は宇宙産業には敷居が高いイメージを持っており、どう情報を取ればよいのか、どうすればキーパーソンに会えるのか、手探りで苦労しました。今、そういうニーズに対してソフト・ハードの両面でアプローチができているのは、暗中模索でここまで開拓してきた当社ならではの強みだと思います。実は前職の自動車会社も宇宙産業に新規参入した企業の一社で、日本橋にオフィスを構えていただいています。

へえ、自動車も!

宇宙と自動車の関わりでは運転支援技術×衛星がわかりやすい例ですが、自動車産業に限らず、今は宇宙空間を含めたフィールドで事業を行うことがスタンダードになってきています。そんなふうに、「宇宙」は特別な概念ではなく、より当たり前になっていくのではないかと思います。

最後に、渡辺さんが今後挑戦したいことはありますか?

宇宙ビジネスを所管する部署からは既に異動しましたので、現所属の海外事業の話でいうと、最初に申し上げた通り「現地パートナーとの関係構築」です。しっかりとした信頼関係の上に長期的にビジネスを築き、海外事業に貢献していきたいと思います。

もう一つ挙げるなら、海外は国内以上に「金融商品としての不動産」の側面が強く、長期保有するのではなく売却し資産を回転させていくプロジェクトも多いです。その中で国内のような大規模な街づくりを行っていくことや、ソフト面を含む、当社らしい、他のデベロッパーや投資家にできない付加価値をどうこれまで以上に発揮していくか。難易度が高いのは承知の上で、私はそこに挑戦していきたいなと。まだ手探り段階ではありますが……。

正解がわからない中、手探りで進む。高校の弓道部から、姿勢はずっと同じですね。

そうかもしれませんね。ただ街づくりって何十年とかかる話なので、「私が担当している期間」でどこまで成果が出せるかは分かりません。だからこそ、次に何をバトンできるか考えながら戦いたい。そうやって当社全体としての「開拓」が進められたら本望です。