働く人の心
Kentaro Kosuge
実るほどに頭を垂れ、
志は高くあれ。
小菅 健太郎
ロジスティクス事業部 事業グループ
前職:プラント
MY PROFILE
プラントエンジニアリング会社での設計業務・施工を経て、2015年に中途入社。商業施設営業部本部に配属され、ららぽーと湘南平塚、ららぽーと沼津等の新規開業における営業を担当した。2019年に人事部に異動し、人事制度全般の企画・設計に携わったのち、2023年にロジスティクス本部ロジスティクス本部事業部に配属され、現在はMFLP・LOGIFRONT東京板橋、SGリアルティ・MFLP大阪加島計画等の物流施設計画にかかる事業担当をしている。
すごい人ほど、謙虚。
小菅さんは2015年の入社以来、約10年間で3部署経験しています。どの部署で働く時も大切にしているマインドはありますか?
「謙虚であれ」、ということですかね。当社は、部署によらずプロジェクトマネージャー的な動きが求められ、いろんな関係者をうまく回して進めていかなければならない仕事が多い。各専門分野を持たれている方々を門外漢ながらにマネジメントして、プロジェクトを前に進めなければならない中で、時には黒子に徹し、謙虚さをもって接することを僕としては大事にしています。
ジョブローテーション自体は自分の成長の糧であって、人間として、またビジネスマンとしての幅が広がるチャンスとして非常に前向きに捉えています。部署を異動するということは定期的にその分野における素人に戻るということで。前の部署でどれだけの大仕事を成し遂げた人でも、次の部署では腰を低くして周りに教えを請う必要がある。それができる人の方がフィットするし、「謙虚であれ」というのはそういった環境からも作られていったマインドと言えるかもしれません。
ちなみにうちの会社って、異動当初に「僕、これがわからなくて……」と言っていた人が2-3ヶ月経った頃にはもう全部わかっている!!なんてこともザラで(笑)。おそらく陰で凄まじい努力をしているのでしょうけど、決して表には出さない。スーパーマンがたくさんいます。そういった方々を見ていると、謙虚さに加えて陰の努力、この組み合わせが人としてかっこいいと思います。
謙虚であろう、というのは三井不動産に来てから意識するようになったのでしょうか?
「謙虚は美徳」という価値観自体は元々持っていたような気もします。子どもの頃母によく言われていたのが大きいと思います。母は自宅で学習塾を経営していて、僕も生徒の一人。小中学校のコミュニティ内では成績は良く、塾の広告塔のような存在でした。でも母からは「例え学校のテストで良い成績を取っても、自慢するような態度をとるな」と口酸っぱく言われていた記憶もあります。その言葉が自分の根底をつくり、さらに三井不動産に来てから凄い人とたくさん出会って、より謙虚でありたいと思うようになった形だと思います。「すごいのに謙虚」、いや「すごい人ほど謙虚」の実例をたくさん見ました。
腰の低い姿勢というレベルを超えて、謙虚が「人格」にまでなった人がたくさんいる感じなんでしょうね。他にも三井不動産パーソンとして入社してから身につけたり、あるいは強化されたりしたマインドってありますか?
よく覚えているのが、入社して1部署目、商業施設本部で営業をしていた時に上司に言われた言葉です。「社内の人が相手でも、社外の人が相手でも、打ち合わせの時はみんながお前を見て話してくるような担当になることを目指しな」。やはりどんな打ち合わせでも「この人は話がわかるな」「この人がキーマンだな」と思う人に向かってみんな喋りますよね。だから「どれだけその場に目上の意思決定権者がいたとしても、小菅が担当者なら自分が一番案件のことをわかっているはずだし、そこまで信頼されてこそ仕事だよ」と。
以来、当然かもしれませんが、自身が担当している案件は社内で一番語れるように意識するようになりましたし、社内でも社外でも相手が求めていること/困っていることにどう貢献できるかなどを考えて行動するようになった気がします。例えば人から相談が来たら、最優先で話を聞く時間を作っていますし、訊かれたことには最大限迅速にレスポンスをしています。お客さんが自社内で意見を通しやすくするためのバックアップや資料作りも手伝います。するとだんだんと信頼度が高まっているかなと感じるようになりましたし、社内外に人脈も増えるし、情報も入ってきやすくなる。結果、仕事がうまくいく。うちの会社だと「運転席に座る」とか、「打席に立つ」とかそういう表現をしますが、自分の仕事にプライドをもって取り組むことと、良き相談相手になることも意識しているマインドセットだと思います。
総合力で生きていく
前職はプラントエンジニアリング会社とのこと。そこに至るまでの経歴をお聞かせいただけますか。
先ほど「小中学校の頃は成績が良かった」と言いましたが、高校で県下有数の進学校に入ったら、桁違いに優秀な同級生がごろごろいて。早々に「自分は純粋にIQだけの勝負では生きていけないかな」と考えるようになりました。僕はコミュニケーションとか、チームワークとか、いわばEQ*的な要素と組み合わせて勝負していくしかないのだろうと。
(*Emotional Quotient(心の知能指数)のこと。自分や他者の感情を認識・理解し、効果的に調整・活用する能力。)
その考えは進学先選びにも影響しました。国公立大を目指すのがオーソドックスな高校で、僕は一枠だけあった都内私大の理工学部の推薦を希望しました。都内で多様な人物と交流して、自身の価値観を広げたい、コミュニケーション力を上げたいという価値観から判断した出来事でした。ちなみに僕がその一枠を得られた理由は、当時の高校の教師からは「勉強だけじゃなくて部活も両方本気で頑張っていたから選んだ」と数年後に明かされました。
先生も総合力を見てくれていたんですね。大学ではどんな日々を?
そこそこに忙しい日々を過ごしました。理系でしたので研究室に所属し、企業との共同研究では某自動車メーカーに赴いて研究の進捗のプレゼンもしましたし、学会や研究会にも出ましたし、一方で居酒屋でバイトもしましたし……。企業、アカデミア、アルバイトの同僚、酔客と全く違うタイプの人々と付き合ってきましたね。
違うタイプのコミュニティに属したのは、意識的に?
意識していました。「世の中本当にいろんな人がいるし、こういった考えとか価値観もあるんだな」と感じることも多々あり、今のうちにできるだけいろんな人と喋れるようになっておこうと。人間力の部分を鍛えたかったんだと思います。
そこまで自分を客観視できていたのが凄いです。ちなみに企業との共同研究ってどんなことをしていたんですか?
車のテールパイプってわかりますか?あそこには排気ガスを浄化してから外部に排出するシステムが備わっているのですが、コストがかかりすぎているということで、より安く車を作るために、少しの電気的な力と触媒という物質を使って新しい浄化の仕組みを作るための研究・実験をしていました。共同研究というのはあくまでも研究室の教授宛に依頼が来ているものですから、それを学生の自分に振り分けていただいている手前、手ぬるいことをしたら教授の顔に泥を塗ることになる。教授もスーパーマンのような方でしたので、日々のディスカッションで追い詰められながら実験・解析をしていたのが思い出されますが、ここでの経験も大きな自分の糧となっています。
その専門性を活かせる場所として、卒業後の就職先にはプラントエンジニアリング会社を選びました。惹かれた点は、日本の技術力を活かしながら海外に関わるダイナミックな仕事ができそうだったこと、また、プラントの建設現場で施工部隊を動かしながら自身の設計したプラントを建設するアクティブな仕事だったこと。実際、さまざまな人との信頼関係づくりに奔走しましたし、カタールに合計一年半くらいの期間駐在し、現地で設計・施工を行うなど刺激的な経験を積めました。
ただ4年間働いて思ったのが、従事していたプラント建設の設計・施工の請負業は、顧客側に発注の意思決定をしてもらえない限り実際のプラントをつくれない、数年かけて建設費や運転費を細かく叩き出して提案を準備しても、図面だけで終わることも珍しくない。カタール以外にもオーストラリアやカナダでもプロジェクトがあり、自分が数年がかりで設計に取り組んでいたのですが、いずれも図面だけで。リアルには進まなかったので、ちょっと人生を考えるきっかけになりました。
意思決定に至るまでの提案期間が「数年」というスパンなんですね。確かにそれが丸々無駄になるのはしんどいですね。
大きな金額が動くので、また地政学や石油価格等に影響も受けるので致し方ないのですが、当時の自分にはそう感じられました。それならば事業者側に移った方が、上流からもっといろんなことが考えられるし、自分の責任で、自身で決めることができるのではないか。何より、描いただけではなくちゃんと形にして、世の中に貢献している実感を得たいと思い、転職を考え始めました。そんな時に、三井不動産が再開発を手がける日本橋のエリアを歩く機会がありました。そこでは桜並木や石畳の通りといった風情ある景観を残しつつ、利便性や賑わい、環境性能も向上させて街の伝統残しつながらも、生まれ変わらせる取り組みが行われていました。歴史的な記憶やアイデンティティを残しながら、新たな街を創造していく。そんな特色のある街づくりにも惹かれ、三井不動産を次なるキャリアの舞台に選びました。
2、3秒の会話ひとつで、
苦労が苦労じゃなくなっていく
三井不動産に移ってから、思い出深い仕事はありますか?
強いて挙げると、人事部にいた4年間が丸ごと仕事観に影響した気がします。有難くも、経営層とよくコミュニケーションをとることができる部署なので、経営陣の視座の高さや、世の中の何を気にしているかがわかり、大変勉強になりました。当時最も強く感じたのが、「人の三井」とよく言われますが、三井不動産って本当に人に投資することを惜しまないんだなということ。人に対して、お金、時間、気持ち、どれもふんだんにかける。例えば、人事制度にしろ、配属や人事異動にしろ、人事部・経営の方々が議論に議論を重ねて決定している状況を伺い知ることができて、異動についても、そこには想いがあって、成長のきっかけを与えるものなんだと認識できたからこそ、僕は異動にも前向きなんだと思います。
経営層から突発的に「これ、検討しておいてくれない?」と依頼が降りてくることも多々ありました。それに対して瞬発力を持って、かつ理路整然と整理し、自分の意見を発信する力、議論する力は少しは鍛えられたと思っています。
どんな話が降ってくるんですか?
世の中がこれだけ変わってきている中で、どういった人事制度が良いのか、先進的事例はどうなっていて、活かすべきところはないのか等々、本当にいろいろありました。自分がつくった資料をベースに経営を交え議論がなされるので、考え尽くさないといけない。最初は荷が重いと思いましたが、「立場が人を作る」という言葉のとおりで、だんだんと対応できるようになったかと思います。
人事部を出てからの印象的な仕事でいうと、現部署での1、2年目に担当していた物流施設「MFLP・LOGIFRONT東京板橋」の着工~竣工までの事業担当です。異動してきたばかりの状況でしたが、工事中のコスト交渉、行政協議や共同事業者間の調整、竣工までの追い込み時期を一手に引き受けて駆けずり回りました。はじめての事業担当の経験でしたので、苦労もしましたが。ただ案件的に、社内外からの注目度が高く、有難い仕事に取り組ませてもらったなと。
都内最大の物流拠点ですよね。目立ちますよね。
はい。担当させてもらった物件は、ただの物流倉庫という機能だけではなく、地域の防災に貢献する施設であり、地域の方々の憩いの場となるような広場を整備したり、さらに新しい産業を支えていくという文脈でドローンの研究施設が入っていたりと、いろんな特性のある物件の複合体です。完成後はいろんなメディアが取材に来て、先輩や同僚たちからも「あれ小菅がやってた物件でしょ?すごいね」「お疲れ、よくやったね」とたくさん声をかけられて。こういう経験を身をもってすると、僕もことあるごとに周りの人に「ありがとう」や「お疲れ様」、「助かったよ」と言葉で伝えなくちゃな、と思います。そのたった2、3秒のコミュニケーションで人の心って軽くなる。同僚や後輩との間だけでなく、家族間でも意識しています。
ちゃんと、戦えてるか?
小菅さんは、今後どんな仕事に挑戦したいですか?
やってみたいことは山ほどあります。メディアによく出ているようなビッグプロジェクトに名を連ねたいという欲もあるし、まだ土地を買う部署の経験がないので、用地部隊も経験してみたい。ただ、基本的にはどこに行ってもやりがいを見出すことができるのではないかなと思います。
一方、自分自身がどうなっていきたいかという点では、一つ明確に課題があって。それは「もっとエゴや熱量を出すこと」。データや定量的に相手を説得するのも当然必要ですが、「どうしてもこれがやりたいんだ!」っていう熱量でも社内、社外問わず人を動かせるようになりたいと思っています。しかし、なかなか謙虚さと相反することでもあるので、自分の中でも無意識な葛藤がある気がしています。
確かに今日お話ししていても、やわらかくコミュニケーションをとる姿が印象的で、「エゴ」という言葉とは対極のように思いました。
昔から敵を作らないタイプだったみたいだし、ありがたいことに後輩メンバーからも「小菅さんの下での仕事はやりやすい」と言ってもらえているようです。一方で、街づくりの仕事って一点突破が必要なフェーズ、タイミングもある。ニュートラルなポジションを取るだけでは、「良い仕事」が完遂できないのではと思います。「時には反対意見が強くても、ここだけは譲れない。やらせてほしい」という部分をもっと培っていきたいなと。
僕は「上司に適切に楯突ける人」を尊敬します。楯突くだけの信念・考えがあるということだし、意思を通すためにいろんな準備を怠らずにやっているはずだから。社内の尊敬する方々とお酒を飲んだりすると「ちゃんと戦えてるか?」なんて言葉が出るんですけど、先輩たちを見ていると、自分はまだまだ甘いなと思います。
「戦えてるか?」なんて言葉が出るんですね、飲み会で。
うちの会社は若手が上司と真逆のことを言っても、理不尽に抑えつけられたり、絶対にしない。ちゃんと聞いてくれる土壌があります。むしろ上の人たちに適切な情報をあげていかないと、間違った判断、浅い判断になることはいくらでもある。担当者として「僕は反対です」「そのまま進むとおかしなことになります」等々、ちゃんと意見してプロジェクトを良い方向にもっていくのは担当者の責任でもあります。だからこそ、この会社はそれぞれが持ち場で戦っていて、その持ち場で奮闘している人が多いプロジェクトほど良いプロジェクトになっていると感じます。
僕も、もっともっとそれができるようになっていきたい。ただし「謙虚」という姿勢は保ったままに両立させる人間になっていきたいなと。数年後、また取材に来てください。次は今よりずっと熱いエキサイティングな話ができるようになっておきますから。